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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇川と生きるまちづくり

守谷
 森下先生、先生は大分県でしばらく過ごされたとお聞きしましたけれども、先生の子供時代の川との付き合いのきっかけから、お話していただければと思います。

森下
 私は、昭和16年(1941年)に国民学校1年生として台湾で過ごしました。そのとき使っていた日本の教科書のなかに、「さいた、さいた、さくらがさいた」というのがありました、台湾にはサクラの木はありません。台湾のような熱帯地域には、ずっと1年中咲いている花はありますけれども、1日で散ってしまうような不経済な花は元々ないのです。ですから、国民学校の先生が、「日本にはサクラの花があって、その花が入学式の時に、ランドセルの上にパラパラと落ちて来るのよ。」という話をされるのですが、それがどうしても理解できませんでした。そして、その時は、教科書というのはひょっとしたらうそを教えるのではないかと、考えておりました。
 梅雨になりましたら、「てるてるぼうず、てるぼうず、あした、てんきに、しておくれ」と習いました。ところが台湾の雨というのは、てるてる坊主をぶら下げてやむような雨ではないのです。その時は、どうも日本の雨は、てるてる坊主を子供がぶら下げたらやむらしいが、ずいぶん変な所だなというのが感想でした。
 「つくし、だれのこ、すぎなのこ、どてのつち、そっとあげて、つくしのぼうやが、めをだした。そとは、そよそよ、はるのかぜ」これは、私が最初に習ったひらがなです。
 スギナはいっぱい台湾にもあるのですが、ツクシは出ないのです。ツクシは土壌がやせていて、少し酸性で、マツがあるような国で、鉄道の軌道だとか、川の法面(のりめん)などに生えるのですが、台湾の土壌というのは大変肥沃ですから、ツクシが出ないのです。「そとは、そよそよ、はるのかぜ」といっても、そのころも台湾は暑いのです。このように、私は小さいころ、ずいぶん変なことを教えられたために、いまだに生物から足が抜けなくて、毎年1月28日ころには沖縄県名護(なご)市に咲く「名護桜」を見てうつつをぬかし、そして5月の終わりには、北海道稚内(わっかない)市に咲くサクラの花を見に行かないと、1年がなんとなく落ちつかないというように、サクラにつかれて、うつつをぬかしています。
 ところで、サクラというのは、山の上のような人の住まない所には咲かない花らしいのです。サクラが咲いてる所はどこに行っても、必ず川があって、人が住んでいて、田んぼがある所なのです。そして、そういうところが日本ではアユが育つ所なのです。日本のアユは、山の上にもおりませんし、ずっと下のほうの田んぼができないような都会の中にもおりません。アユという魚は、サクラと、田んぼと、人間が、どうも好きなようです。そして、そういうところが、ホタルを生産するところでもあったのです。
 もう少し話を進めて参りますと、アユがすんでいる所を、照葉(しょうよう)樹林帯というふうに、専門用語では呼んでおります。照葉樹林帯というのは、照り輝く葉っぱを持つ木のあるところで、お茶がとれて、ミカンがなって、カキがあって、そしてツバキの花が咲き、アユが育つところなのです。
 どこかの川に行かれまして、その川にアユがいるかどうかを判断していただく時には、川のほとりを見て、ツバキの木があるかな、田んぼがあるかな、というふうに見てください。例えば、青森県には、十和田湖に源を発する奥入瀬渓谷(おいらせけいこく)という非常にきれいな川が流れておりますが、こういったブナ林に囲まれた川の中にはアユはすめませんし、そういうところには田んぼもありません。水が清いから、水がきれいだから魚がいるのではなくて、そこの自然がアユのすめる自然かどうかということを、少しお考えいただきまして、なんでもかんでも水のせいにしないで下さい。
 ついでに申し上げておきますと、アユがすめないような山の上の方の、炭焼きの方が行く林道があるような所の川にすんでいるのは、西日本ではアマゴです。そして、そのアマゴは、田んぼがある所から下の方では、だんだんいなくなります。
 日本の国土のうち、人が住んでいる所は、アユがすんでいる所とだぶっておりまして、日本の全面積の約28%です。アマゴがすみ、あまり人は住まないような山や緑の地域が、日本では約72%あります。

守谷
 はい、ありがとうございます。実は今、森下先生がお話されたことで、今回の私の締めは、事前の打ち合わせと見事に変わってしまいました。
 と言いますのは、私は頭の中で、この場は先生とお話をしながら、最後の締めとして、「水が汚れ魚が少なくなったのは、缶をポンと捨てる人がたくさんいるからではないか。米の磨(と)ぎ汁やみそ汁などもずいぶん悪影響を及ぼすのに、ましてや油などを流しているからいけないのではないか。家庭排水などの雑排水も流れ込んだからではないか。だから、これをなんとかして、皆さんの手で清流を取り戻しましょう。」と言おうと考えていましたら、今の答えが出てきたのです。
 私の頭は、水質の問題が全て悪いというような方向に洗脳されておりましたが、今先生のお話をお聞きして、目からうろこが落ちた思いです。アユがすめる川というのは、隣に田んぼがあり、人がいて、人のなりわいがある所と思ってよろしいのでしょうか。

森下
 そうです。そして、川にアユがすんでいますと、石の表面にある藻を食べるのです。ところがアユがすんでいない川の石の表面というのは、藻を食べてくれる魚がおりませんので、その藻がどんどん長くなって、実際に汚くはないのですが、見た目には汚く見えるようになります。だから、アユがいるということは、アユがいつも、川の中がきれいに見えるようにしてくれているということでもあるのです。