データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇漆器会館をつくる

 約30年ぐらい前に県の物産展が始まり、その2回目か3回目の時に、砥部町の観光センターの方が私のところへ来まして、「鳥井君よ、桜井漆器いうのは、このままやりよったら、まあ15年か20年でなくなるのと違うか。」ということを、言われました。「どうしてですか。」と私が聞きますと、その方は以前にも桜井漆器を見学に来たことがあるのでしょう、「桜井の職人さんが天井裏や穴蔵みたいな所で仕事しよるのを見たら、今の若いもんは、絶対に弟子入りしてこんぞ。」と言われました。私はこれを聞いて、「なるほどなあ、私は桜井の中で生まれ育っているから、穴蔵であろうが、天井裏であろうが、それがしごく当たり前に思っていたが、よその人は、こんな所で仕事しているのかと思われるのだな。」と分かりました。さらに、その方は、「桜井漆器を再生するのなら、あなたも、うちのような会館をつくりなさい。」と言われたのでした。それ以来、「桜井漆器を残していくためには、漆器会館をつくらなければならない。」ということで、私も漆器会館のことを頭の中に入れながら、桜井漆器を継承してきたのです。そして、平成元年に桜井漆器会館をオープンする運びになりました。
 そうしたら、それからはどういうわけか、若い人がどんどん入って来てくれるのです。会館をつくってから、後継者として10年続いている若いものが3人はおりますが、その間に、一人前になったのだから怒ってもかまわないかなと思って、私が怒ると、辞めていった若者もいます。今の若い子は、怒られると耐えられない、困った時代ですが、なんとか後継者を増やしていきたいということで、頑張っております。