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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇塩の呪術(じゅじゅつ)性


 奈良時代の地誌に『風土記』があります。全体が現存するものは『出雲(いずも)国風土記』のみで、部分的には常陸(ひたち)・播磨(はりま)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の国のものが現存しています。そのうちの『常陸国風土記』、現在の茨城県についての地誌ですが、その中に信太郡浮島(しだのこほりうきしま)が登場します。この記述が非常に興味深い。かいつまんでお話ししますと、浮島の村はぐるりを海で囲まれている。そして、ここの住人は「鹽(しお)を火(や)きて業(なりわい)」としている。つまり、製塩を生業としている。そのために、行いと言葉を謹(つつし)んでいるとある。謹んでいるとは、言動にさまざまなタブー(禁忌(きんき)のこと)があるということでしょう。あることを言ったり行ったりすると塩がうまく結晶しない、という意味だと思われます。また、浮島の民家はわずかに15戸にもかかわらず、社(やしろ)が九つもあったと書かれています。浮島には、古墳時代(およそ4世紀から7世紀)の祭祀(さいし)遺跡(おもに祭祀を挙行したと推定できる遺跡のこと)が10か所ほどあることが調査で分かっています。ぴったり九つとはいきませんが、考古学の成果と文献の記述とが対比できる重要な遺跡です。おそらくこの祭祀遺跡が、奈良時代には社と呼ばれるようになったのではないかと思われます。こうしたことから考えると、古代の塩作りには、さまざまなタブーや、このようにすれば塩がうまくできるというような民間に伝わる儀礼があったのではないか。どうも塩というものは、それが人間の体に生理的に必要であるというだけではなくて、清めに使われたりすることから、ある種の呪術的意味が含まれていたようにも思われます。
 なぜ、このようなことをお話しするのかと言いますと、日本人の祖先は『古事記』や『日本書紀』に神話を残していますね。そして、その日本神話が何から書き出されているかと言うと、それは「国生み神話」、我々の足元の大地がどのようにして造られたのかということから始められています。すなわち、イザナギ(男神)とイザナミ(女神)が天浮橋(あめのうきはし)の上に立って矛(ほこ)を差し降ろし、海水をかき混ぜて引き上げると、矛先からしたたり落ちる塩が重なり積もって島ができた、とあります。実は、この記述は非常に重要なのです。
 宮城県塩竈(しおがま)市にある塩竈(しおがま)神社の末社である御釜(おかま)社には、塩を作るための古い鉄釜が4個伝わっています。このうち最も古いものは奈良時代までさかのぼると思われます。これらは現在では使われていませんが、別の鉄釜を使って、御釜社では毎年、古い仕方で塩を作る藻塩焼(もしおやき)神事が行われています。わたしも何年か前にこの神事を拝見したことがあるのですが、釜の大きさは、昔使われていた行水用のたらい程度です。
 たらいには、普通の海水が満たしてあるだけです。それが、鉄釜の下に火打ち石で火を付け、約1時間ほど薪(まき)を燃やし続けていると、海水の色が少し変わってきて、そしていきなり真っ白な塩の塊が鉄釜の底一面に、まるで大水がひいた後に陸地が現れるようにワッと出てきました。この時わたしは、先ほどの国生み神話の描写を思い浮かべました。つまり、日本の国生み神話は、実は、塩が海水からできるように大地ができるという例えで描かれているのです。そればかりか塩を作るときの「塩こおろこおろに画(か)き鳴(な)して」という呪文(じゅもん)のようなものを『古事記』は記しています。こういうことで、塩は古代社会において重要な意味を持っていたと言えるのです。