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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇石釜を調査する

 ところで、昭和18年(1943年)に書かれた『塩と民族』(時雨音羽著)の中に、たとえ同じ自然塩であっても、鉄釜、すなわち鋳物の釜のことですが、それを使って「煎熬(せんごう)」をしたものよりも、石釜を使って作った自然塩の方がおいしいという記述があります。この石釜とは、1辺が12cmから20cmの四角で厚さが2、3cmに小割りにされた花崗(かこう)岩を使って組み上げたものですが、石と石との間の目地は、赤土に牡蠣(かき)を焼いた灰と煎熬の燃料として使った松葉の灰などを混ぜ、それをにがりや塩で練ったものでふさいでいます。このような釜に濃い塩水を入れて、下から火をたいて煮詰めると、花崗岩中のカリウムとかナトリウム、カルシウムなどのいろいろな成分、それから灰の中の成分が溶け出して塩に入り、出来上がった塩がおいしくなるというのです。
 わたしが、この記述に興味を持ちまして調べていくうちに分かったことなのですが、この伯方島は石釜用の石の生産地なのです。しかもその石は、伯方島での製塩だけに使われたのではなくて、周辺地の塩田の石釜用にも使われています。いわゆる売っていたということになります。現在わたしが確認をしている、伯方島内において石釜用の石を切り出していた場所は、北浦地区の大夫殿(たゆうど)と伊方(いかた)地区の竜(りゅう)の丘(おか)の2か所です。大夫殿の石はその場で加工され、大夫殿の前の海岸で船に荷積みされたらしく、ここでは海中から釜石を拾うことができます。また、竜の丘の石は叶浦(かのうら)地区で小割りがされていたようで、その石は、現在、叶浦地区内のある家の塀として利用されています。それから釜として使用された残片は、古江塩田の釜屋跡から今でも出土します。
 また、石の特性は、いったん温(ぬく)もるとなかなか冷めにくいので、それが石釜の利点でもあったようです。しかし、この釜は長くても1か月間くらいしか持たなかったそうで、そのため、常に釜の造り直しをしないといけないので、それが大変だったと思われます。
 以上、お話ししてきましたように、自分で行動して見たり調べたりしますと、知識も、そして楽しみも非常に増えてきます。ですから、皆さん方も大いに好奇心を持って、いろいろなものに取り組んでいただければと思います。
 以上で、わたしの発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。