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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇「成長の時代」から「成熟の時代」へ

石森
 「愛媛学セミナー」は、平成5年より、毎年、愛媛県下各地で開催され、その成果は集録として刊行されております。わたしは、この愛媛学の発展を大変評価しております。では、なぜ現在の日本において、愛媛学のみならずさまざまな形での地域学が非常に盛んになってきているのでしょうか。実は、このことは、日本のこれまでの発展のあり方というものと深く結び付いているのです。
 今から約半世紀前に、日本は全く焦土と化しました。すなわち、日本は昭和20年(1945年)に終戦を迎えました。そして、その年にわたしは生まれました。ですから、わたしには、子供のころの写真があまり残っていないのですが、その中の1枚に1歳半ころのものがあります。そこには、ぼろぼろの服を着て食パンを一山抱えたわたしの姿が写っております。
 このような約半世紀前の状況から考えますと、現在までの間に、日本は非常な発展を遂げたわけです。まさに国と国民が一丸となって、経済的な数値、指標を引き上げてきた。その結果、日本が世界でも有数の経済大国となったことは事実であります。砥部町にお住まいの皆さん方も、半世紀ほど前の砥部町と現在の砥部町とを比べていただければ、驚くべき発展を遂げたということは、だれもが疑いようのないところだと思われます。それでは、物の豊かさと正比例する形で、日本人の心も豊かになったのでしょうか。今、このことに、大きな疑問符が付いているわけです。日本は、本当にこのままでいいのでしょうか。
 日本は、かつての高度経済成長と同じような経済の発展はなかなか難しい時代に入ったと言われています。それでは、今後の日本は衰退してしまうのか。いわゆる低成長の時代がすなわち衰退の時代かと言うと、わたしは決してそうではないと思います。日本は、これからいよいよ成熟の時代に入って行くはずだと考えるのです。すなわち、これからようやく、日本人が自分の人生を振り返り、そしてこれまで見過ごしてきた自然のありがたさや歴史の大切さ、さらには地域というものが持つ意味を、もう一度一人一人の日本人が考え直すことのできる時代が、ようやく始まりつつあると思うのです。こうした時代背景の中で、地域学というものが重要性を持ち始めているわけであります。