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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇城辺史友会の歩み

 まずはじめに、わたしが所属しております「城辺史友会(じょうへんしゆうかい)」につきまして、簡単に説明させていただきます。
 城辺史友会は、平成8年3月に、郷土の歴史や文化などについて、現地研修を取り入れながら学び合うことを目的に発足しました。その趣旨は、専門家の研究会ではなく、お互い素人同士の仲間として、歩いて、見て、触って当時の人たちの立場で、みんなの知恵を出し合って考えていきましょうというものです。
 早速、第1回目は、中世城館跡の一つで町名の由来ともなった常盤(ときわ)城跡をお手本として、「土塁」などの城郭用語を現場の実物と照らし合わせながら、調査しました。そこでは、会員の皆さんの観察眼のすばらしさを痛感しました。今まで発見できなかった石積遺構や、表面採集によるいろいろな土器の発見など、予期せぬ収穫で皆さん大喜びでした。
 また、第2回目は、前回と同じく中世城館跡の一つの緑(みどり)城跡の現地調査に出掛けました。ここは、さすがに山城で調査にも苦労しましたが、敵側だったらどこから城を攻め落とすかなどの問答が会員の間から自然に出てきたりで、弁当持ちの楽しい1日でした。また、典型的な竪堀(たてぼり)や井戸の遺構なども確認し、およそ400年もの昔、この地に侵攻した長宗我部(ちょうそがべ)軍とのし烈な白兵戦(刀や槍(やり)で敵味方が入り乱れて戦う接近戦のこと)に散ったつわものどもに思いをはせました。
 さらに第3回目には、宇和島藩が高野長英に設計させた久良砲台場(ひさよしほうだいば)跡(県指定史跡)と、台場下の海岸に並ぶ石塁を調査しました。
 こうしたことで、城辺史友会の活動も今年(平成11年)で4年目を迎えます。そのなかで気付きますことは、普段何気なく眺めているものでも、それを掘り下げて研究しようと足を運んでみる。そうすると、何かヒントを得ることができる。すなわち、自分たちの身近な所に貴重な調査対象があるということです。このことが、わたしたちが4年間の歩みをとおして学んだことの一番大事な点だと思います。