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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(4)商店街がショッピングセンターだった時代

 ア 商店街の変貌

 「昔は、商店街全体が今の大きなショッピングセンターのようなものでした。肉屋、魚屋、豆腐屋、酒屋など食料品はもちろん、衣料品店、化粧品店、自転車店など生活に必要なものは何もかもこの商店街でそろっていました。横河原駅での乗降客はもちろん、重信町内や旧川内町など近郊の農村から多くの人がやって来て賑やかでした。見奈良(みなら)の療養所(愛媛療養所)や付属の看護学校の職員や学生さんもこの商店街で買い物をしていました。松前のおたたさんのような行商の人もたくさん来ていました。現在の伊予銀行横河原支店のあたりに『旭館』という劇場があって、昭和20年代前半まで映画や芝居の地方公演、浄瑠璃(じょうるり)、青年団の芝居やバンド演奏などいろいろな催しが行われていました。その後、商店街に『ユニオン劇場』ができ、昭和30年代ころまで映画や芝居が上演されて多くの人で賑(にぎ)わっていました。パチンコ屋もあり、商店街は東温地方の娯楽センターとしての役割も果たしていました。私たちの結婚式は昭和41年(1966年)に、この家の2階の座敷でしたのですが、ちょうど三々九度をしている最中に、向かいのパチンコ屋さんから城卓矢の『骨まで愛して』という歌が『骨まで 骨まで 骨まで愛してほしいのよ』と流れてきて、おかしくてふきだしそうになりました。
 横河原は伊予鉄道横河原線の開通後、急速に発展したのですが、昭和40年(1965年)に伊予鉄道は横河原線の平井(ひらい)駅以東を廃止してバス化することを決定しました。廃止決定は商店街にとって死活問題であり、沿線住民にとっても大きな問題でした。父は先頭に立って廃止反対運動を行いました。翌年に重信町が『横河原線全線電化期成同盟会』を作り、廃止反対と電化達成への運動を展開したため、平井以東の廃止は撤回され、昭和42年には電化が完成し、要望が実現しました。
 昭和47年(1972年)に松山刑務所の見奈良への移転、第二養護学校の開校、翌年の第三養護学校の開校や愛媛大学医学部の開学、昭和51年に医学部付属病院が開院したことは、横河原商店街に良い影響を与えたと思います。うちの店でも、養護学校の先生方が、文化祭や発表会などの大きな行事があると必要な文具を買いに来てくれました。また、医学部の学生がアイスキャンディーを買いに来ますし、看護科の学生がアルバイトにも来てくれました。しかし一方では、そのころから大型スーパーやショッピングセンターが近くに出店して商店街全体が厳しい状況になったのです。」

 イ マスコミの影響力

 「大型スーパーやショッピングセンターの出店により、日用雑貨や文房具がだんだん売れなくなった今から20年余り前の昭和61年(1986年)に、テレビ愛媛の『ふるさと見つけた』という番組で山田幸子アナウンサーがアイスキャンディーの取材に来ました。それが放送されてからお客さんが並ぶようになったのです。それまで2週間に1回は日曜日を休みにしていたのですが、休みの日にもお客さんが来るので日曜日もお店を開けるようにしました。父がアナウンサーに『値上げはしませんね。』と言われ、『はい。』と答えてしまったものですから、『そろそろ値上げをしたいと思っていたのに、テレビが来たので上げれんなった。』と言っていました。その後も南海放送の『もぎたてテレビ』やNHKの生中継がありました。毎日新聞でも紹介されました。全国版だったので、新聞に載った翌日には『アイスキャンディーを送ってください。』という電話が1日に70本かかってきました。そうやってテレビや新聞で紹介されてから、いつのまにか『アイスキャンディーの老舗(しにせ)』とよばれるようになったのです。
 お客さんは昔から買いに来てくれている近郊の農家の人から、わざわざ大阪や京都、東京や横浜から買いに来てくれる人などいろいろな人がいます。年齢も小学生からお年寄りまで幅広い年代の人が買いに来てくれるので、いろいろなお客さんとお話ができて楽しいのです。私たちも年をとって体力的にはしんどいのですが、70年以上も続いている手作りの味を守ることとアイスキャンディーを食べて『おいしい。』と言ってくれる多くのお客さんがいるので続けています。今年(平成21年)の10月に長男が結婚しました。幸いにも長男の嫁が自主的に継ぐことを申し出てくれました。父の代から受け継いだ伝統の味をこれからも長く皆さんに味わってもらうことができるようになり、ホッとしています。」
 車社会の到来、郊外型の大型スーパーやショッピングセンターの進出、消費者の生活スタイルの変化は、街かどの店をよろず屋からアイスキャンディーの老舗へと変え、商店街も厳しい状況へと変化させた。しかし横河原地区では、『横河原区誌』の編纂や祭礼の運営をはじめ地域の行事に積極的に取り組み、地域に根ざした街づくりを進めている。