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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(4)みんなが親戚のような気持ち

 「今は行商に出るのは週に1回ぐらいです。満穂、玉谷(たまたに)、篠谷(しのたに)を主に、時々、中野川(なかのかわ)、仙波(せんば)をバイクで回っています。得意先も20~30軒ぐらいになりました。一人暮らしのお年寄りやお年寄りのいる家には、『最近、体の調子はどうだろうか。』と心配になって行くこともあります。今行くと『あのころは、孫がいて飴をたくさん買ってくれたな。』とか言って、すぐに昔話になります。昭和25、26年ころはお菓子屋で買った飴も売っていたのです。飴は、歩きながら自分が食べてしまい、商売をしているのか、何をしているのかわからなくなったこともありました。
 長い間行商をしてきましたが、特に苦労したことはありません。この人には、これが似合うと思って服を持っていって買ってもらえるとうれしいものです。嫌なことは、お金を貸してなかなか返してくれなかったことぐらいです。今は儲(もう)けよりはボランティアと思ってやっています。お客さんに道で会って、『これ、食べてみる。』と何かをあげることもあります。逆にお客さんから、おかずなどをもらうこともあります。自分には兄弟がいないので、みんなが親戚(しんせき)のような気持ちで接しています。今のお客さんは、私より年上の人が多く、商売を始めたころからの付き合いです。私は生まれてからずっと広田に住んでいるので、昔から知っている人ばかりです。イモの植え付けなど畑仕事の手伝いまで頼まれることもあります。
 この峠は、今はうち1軒になり、一人暮らしなので出て行かないと人と話すことがないので、いろいろなところで話をすることが楽しみの一つになっています。ボランティアに参加したり、独居老人友の会会長としてお世話もさせてもらっています。子どもからは、もうバイクに乗るのは危ないので行商に出るのをやめて欲しいと言われますが、バイクに乗れる間は続けて、商売だけでなく頼まれたことは何でもやっていきたいと思っています。」
 衣料品を売るだけでなく、人と人の付き合いを何よりも大切にして、地域に根ざして行商を続けてきた**さんの姿は、人間関係が希薄になった私たちの生活を振り返る一助となる。現在も**さんの行商は、地域の高齢者にとってなくてはならない存在である。