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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(1)日本人と銭湯

 東京都浴場組合ホームページには、銭湯の起源について次のように書かれている。
 「・・・・・寺院では七堂伽藍の1つに浴堂を数え、施浴(せよく)が盛んに行われました。(中略)家々には浴室もなく、町湯もなかった時代、寺院の施浴は、宗教的意味だけでなく、庶民にとっても、うれしい施しであったわけです。施浴によって、庶民は入浴の楽しみを知ったせいでしょうか、平安時代の末には京都に銭湯のはしりともいえる湯屋が登場します。・・・・・」
 奈良時代に始まった寺院による施浴の習慣が、銭湯の誕生を促したようである。施浴の習慣は、鎌倉時代に入って最も盛んになり、室町時代になると裕福な家が知人や近所の人を招いて風呂や食事でもてなす「風呂ふるまい」が行われる。
 江戸時代に江戸(東京)では「町ごとに銭湯あり」といわれるほどに広まるが、一般に男女混浴であり、庶民の娯楽、社交の場として機能していたという。明治時代に入ると外国への配慮から混浴は禁止されるが、銭湯は都市化の進展や衛生観念の向上とともに隆盛を極める。昭和初期には浴室に水道式のカランが取り付けられ、衛生面が向上する。
 第二次大戦後の高度経済成長期には都市人口が急増し、全国各地の街かどに銭湯がつぎつぎと建設された。その後風呂付住宅が一般的になったことや、平成になってスーパー銭湯が次々と開業したことなどにより、銭湯の利用客は急速に減少し、廃業する銭湯が相次いでいる。