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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(3)化粧品店とともに

 上灘灘町3丁目には、長年、女性客相手に毛糸の編み方を教え、商(あきな)ってきた店が現在も営業している。この店では化粧品も長い間扱い、双海の女性たちの心をつかんできた。この店を切り盛りしてきた**さん(昭和9年生まれ)に話を聞いた。
 「昭和30年(1955年)にここへ移ってきて、文具と毛糸を売り始め、昭和40年(1965年)ころから化粧品も扱うようになりました。朝は、小学校へ行く子どもたちが通学する時に店を開けていました。登校途中の子どもたちが文具を買って行くのです。化粧品は、資生堂の化粧品を扱っていました。最初、カネボウの化粧品を扱っていたのですが、お客さんに聞くと『資生堂がいい。』と言うのです。それで、資生堂に行って『化粧品を扱わせてください。』とお願いしました。しかし、これがなかなか認められないのです。上灘には資生堂を扱う店がまだなかったので、主人にも一緒に松山へ行ってもらいましたが、『月20万円、売り上げてください。できますか。』と言われました。これは大変な金額でした。それでも、それを目標にがんばりました。
 昭和40年ごろには、『マネキンさん』と呼ばれる資生堂の販売促進員さんがよく来られていました。お客さんを集めて、化粧の仕方などの実演をしてくれました。夏には、松山から来たマネキンさんが、うちの店で日焼け止めなどをつけていたら、道を行き来する人が立ち止まって、その日焼け止めを買ってくれました。平成になると次第に売れなくなり、化粧品を扱うのは平成15年ごろにおしまいにしました。
 また毛糸屋でしたからカネボウと取引がありました。編み物の先生もしていましたから、編み物講習などをしていた時にはけっこう売れました。この店の2階で編み機を使って編み方を教えていました。セーターやマフラーなど、お客さんの好みに合わせていろいろ編み方を教えました。お店が大好きで、お客さんが来ない時は、店に座って一日中編み物をしていました。半分遊びながら商売してきたようなものです。」