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県境山間部の生活文化(平成5年度)

2 本書の要約

第1部 昭和を生き抜いた人々のくらし

 第1部は、県境山間部において、激動の昭和を生き抜いてきた人々のくらし-生活文化-に焦点を当てて、聞き取りや実踏などの現地調査に重点をおき、直接、生の声を聞くことにより、この地域の生活文化の本質・特質を明らかにしようとした。また、今回の調査は、視点(切り込み口)を「森林(もり)(山)・峠(交流)・人(山村)」とし、この三つの視点にそってアプローチを試みた。
                 
 第1章 森林(もり)とともに生きる

 本章では、「森林(山)」に視点をおき、自然とともに生きてきた人々のくらしを通して、自然とどのように共存してきたかを明らかにしようとした。
 まず、豊かな自然を守ってきた人々のくらしや、神の森・大師の森と地域のくらしとのかかわり等についての調査を通して、山・自然の恵みに感謝し、山の神に祈り、自然の中で生かされているという謙虚なくらし方の中に、人間と自然との共存の在り方をうかがうことができた。さらに、焼畑農業・林業・山間地農業等に従事してきた人々のくらしについて調査し、厳しい自然条件を克服し、人間と自然(森林)との協調の中で、自然をうまく活用して生計をたてている人々の自信に満ちたくらしを明らかにした。

  第1節 森林との共存

 「1 森林に生きる姿」では、親子2代にわたって一生をささげてきた営林署作業職員のくらしから、国有林を守り育てた苦労、自然に対するおそれ、森林の中で連鎖しあっている生命等について、面河村の二人の林業家からは、伐採・切り出しを生業として従業員や家族を支えてきた山男のくらしと、毎年一定の収入を見込んで造林した法正林に誇りを持って生きている林業経営家のくらしについて、また、久万町の農家高齢者創作館がイヨス山を守り見事に「いよすだれ」を復活させた努力について明らかにした。さらに、その過程で森林で生きる人々が、厳しい自然条件と過酷な労働の中で、山をおそれ、神仏に祈る山鎮祭信仰儀礼が今も受け継がれていることも併せて明らかにした。
 「2 神の森・大師の森」では、石鎚信仰50年の元老大顧問のお山開きの山頂生活、久万郷神社総代会長の鎮守の森に寄せる思い、神幸祭を通して久万町菅生の人々と大宝寺とのつながり等について調査することにより、この地域の人々が自然に対する畏敬(いけい)の念を強く持っていることを明らかにした。また、石鎚山頂の気象観測記録及び、石鎚・面河の自然観察記録を通して、石鎚の森林と共生する生き物たちの姿も追ってみた。

  第2節 農林業に生きる人々

 「1 焼畑農業に生きた道」では、地形急峻な上浮穴郡一帯の山村で、古くから受け継がれ、昭和30年代まで続けられていた焼畑農業のくらしを明らかにしようとした。具体的には、自給自足の経済を基本としたくらしや、山焼きでの助け合い活動、みつまた作りのつらい冷たい仕事等を通して、たくましく生き抜いてきた山村での労働と生活を明らかにした。
 「2 林業に生きる人々のくらし」では、久万林業に道を開いた井部栄範の足跡を訪ねるとともに、森林を愛し、森林と一緒に歩んできた篤林家親子2代のくらしを中心に、浮き沈みの多い林業のあるべき姿や付加価値づくりなどについて調査するとともに、林業に生きた人々の生き方・考え方を明らかにした。また、過疎現象の目立ってきた林業地帯の新しい担い手組織「株式会社いぶき」の活動状況や若者たちの考えにも触れた。
 「3 山間地農業に生きる」では、その特色と移り変わりを追いながら、狭い棚田という立地条件を土地改良によって克服し、地域特産の高原野菜作りを進めてきた人々の努力の足跡と、道も電灯もない開拓ムラの生活を軌道にのせ、新しい観光農業を開発した人々のくらしとを明らかにした。

 第2章 峠と交流

 本章では、「峠(交流)」に視点をおき、峠と人々のくらしとのかかわりを明らかにしようとした。
 峠は、交通の障壁として山間地域の孤立性・隔絶性をもたらすものであるとともに、交通の結節点として旅行者が通り他地域の人や物や情報が流入する、交流性・開放性を併せもっている。この峠のもっている交流性と孤立性を念頭におき、上浮穴郡・新宮村・城川町の3地域を比較調査することにより、各地域の生活文化形成に、峠がどのような役割を果たしてきたかを明らかにした。

  第1節 久万山の峠-今と昔

 上浮穴地域には多くの峠があるが、その中で代表的な三坂峠と地芳峠(じよしとうげ)に焦点を当て、峠とくらしとのかかわりについてみていくことにした。
 「1 馬から自動車ヘ-三坂峠」では、峠の開削以前の平野部と山間部の交流と、峠の開削と国道33号線の改修による道路・交通手段の変容等の調査を通して、自然の厳しさを乗り越えて、三坂峠の交通の発達に心血を注いだ先人の努力を明らかにした。また、峠と交流という視点から高原の町久万の生活の変容とその将来の展望、下直瀬に今も県下唯一の川瀬歌舞伎が受け継がれている理由等についても考えてみた。
 「2 秘境から開発ヘ-地芳峠」では、道路の整備とともに交通の拠点柳谷村落出がどのように変容してきたか、また、440号線の国道昇格までの変遷を探り、交通上の障害を乗り越えてきた先人の努力を明らかにした。さらに、伊予と土佐との交流に焦点を当て、峠を越えて来る人々の変遷や、他地域とのつながりの違い等についても明らかにするとともに、この地域の人々の心をなごませる名荷踊りについても言及した。

  第2節 新宮村の東西軸と南北軸

 徳島(山城町・池田町)・高知(大豊町)両県と県境を接する新宮村に焦点を当てて調査した。近年相次いで、松山自動車道、高松自動車道、高知自動車道が開通し、将来徳島自動車道(仮称)が完成すれば、新宮村を含めたこの地域は、まさに人、物、文化、情報の交流拠点となり発信基地への発展が期待されている。
 「1 四国のへそ-未来へつなぐ」では、このような新宮村の交通を、大きく西から東に流れ吉野川に注ぐ銅山川(東西軸)と南北に横断する土佐街道(南北軸)とに分けて考察することにした。東西軸は熊野信仰や奥之院仙竜寺参りなどの信仰の道として、新宮渡しにみられる人馬・物資の輸送の道としての役割を果たしている。一方、南北軸は土佐と瀬戸内とを結ぶ土佐街道であり、新宮はその交流の中継地としての役割を果たし、茶の道・塩の道ともいわれている。この二つのルートと地域の人々のくらしとのかかわりを調査した。また、地場産業である「新宮茶」に焦点を当て、その発展過程と南北軸・東西軸とのかかわりについて考察することにした。
 「2 伝統を継承する人々」では、山村の独自の生活文化として、手すき和紙の伝統の業と県の無形民俗文化財である鐘おどりとを取り上げ、これらを伝承している人々の努力について明らかにした。

  第3節 城川町の茶堂と峠

 肱川水系の最上流に位置し、高知県梼原町と県境を接し、平坦部の少ない南予の山間地域である城川町を中心に調査した。その地理的関係から、城川町は、古くから河川交通により肱川下流の大洲・長浜との結び付きが強く、また、町内の土居は高知県との峠越えの交易で栄えた街村であり、婚姻も含めた高知県との交流が多い。このように城川町のかつての交通・交流はまさに峠のもつ交流性と孤立性の特性を示している。これらを明らかにするため、城川町及び東宇和郡周辺に特徴的な「茶堂」の習俗に焦点を当て、様々な角度から取り上げることによって、地域の特質を浮き彫りにしようとした。
 「1 峠を越えた交流」では、戦前の「往還」と呼ばれる旧街道の交通の状況と日常生活との関わりを明らかにし、城川町の歴史・民俗に見られる各地域間の文化交流の跡を探った。また、高知県梼原町と城川町(特に土居)とのかかわりについて、県境を越えた交流を示すものとして重点的に取り上げた。
 「2 茶堂と地域社会」では、茶堂を中心に特色ある民俗行事をまとめることによって、山間部としての隔絶性を明らかにするとともに、そのような伝統行事が現在の地域社会にどのような意味を持っているかを考えてみた。

 第3章 山村を支える人々

 本章では、村落共同体としての山村のくらしに焦点を当て、地域を支えてきた人々のくらしに学ぶとともに、その中で育まれてきた山村独自の生活文化を明らかにしようとした。
 都市化・情報化や過疎化・高齢化の進む今日、失われつつある村落共同体としてのきずなの大切さと、生活の改善を目指して努力している人々のくらしを明らかにする。また、このような村落で、人々のくらしを地道にしかも自信をもって支えてきた医療関係者や教育関係者の生き方も明らかにした。

  第1節 山村の共同生活のきずな

 今日、上浮穴郡でよく言われる「上浮穴は一つ」という合言葉には、厳しい自然環境の中で自然とともに生き抜く人々のたくましい連帯感と共通の生活感覚がにじみ出ている。
 そこで、ここでは、村落共同体を舞台とした伝統的な共同生活の助け合いの姿と「村おこし・町おこし」の創造的活動を取り上げ、山村に生きる人々のくらしを明らかにした。
 「1 ともに助け合う人々」では、久万町(上直瀬地区・上畑野川地区)と柳谷村(立野地区)における共同生活の成り立ちと変遷、さらに、伝統的な組の祭礼行事や年中行事、共同作業と相互扶助、地域に根付いた文化活動の営みなどを通して、山村の人々の固いきずなが、村落共同体の中の付き合いと助け合いによって結ばれてきたことを具体的に明らかにしていった。
 「2 ともに創りだす人々」では、小田町(寺村地区)における「山の神の火祭り」の行事を通して、山村の人々が「伝統行事を継承し、地域の活性化のために創造的に取り組んでいる姿を」、さらに、久万町(上畑野川地区)の明杖グループの主婦たちが、山村生活の活性化を図るため「意欲的に農家生活改善運動に取り組み、フレッシュな創造的活動を切り拓いてきた様子」を具体的に明らかにした。

  第2節 生命(いのち)をあずかる

 今日の山村生活が抱える「高齢化・過疎化」の問題について、医療・福祉と教育の二つの観点から、これらの課題を真正面から支えている人々のくらしを通して明らかにしようとした。
 まず、「1 山村の医療を支えた人々」で、戦後の交通困難な時代に医療・保健活動に従事してきた柳谷村の医師、看護婦、医院の運転手、小田町の助産婦、久万町の保健婦のくらしを中心にして、当時の活動の様子や山村の庶民のくらしを支えてきた努力を明らかにした。
 「2 高齢化先進地の医療と福祉に取り組む医師」では、「へき地医療・福祉」のモデルケースと言われている小田町の済生会病院(特別養護老人ホーム、老人保健施設を併設)関係者から現状と今後の展望を探ることにより、地域社会とのかかわりを明らかにしようとした。
 「3 新しい教育の息吹 広田村の山村留学」では、全国的に脚光を浴びている広田村の山村留学制度について、留学センター関係者、里親、地元の老人会長等の話をもとに、過疎化になんとか歯止めをかけ、地域のくらしを支えていこうとする人々の努力を明らかにしようとした。

第2部 県境山間部の変容と生活意識

 第2部は、県境山間部の各調査対象町村の代表的な景観や生活文化の写真の比較と、地域の人々に対する生活意識調査により、この地域のくらしがどのように変容してきたか、総合的・客観的に明らかにしようとした。

 第1章 写真で見る地域の変容

 本章では、各町村の代表的な山・川・街並み等の景観の変遷に関する写真を通して、過去と現在とを比較することにより、この地域のくらしがどのように変遷したか、その一面をみることにした。

 第2章 生活意識調査

 本章では、この地域の人々が、自分たちの住んでいる地域や日常生活に対して、どのような考えや意識をもっているか明らかにした。

  第1節 生活意識調査の概要

調査対象   県境山間部の14町村 20歳以上の男女個人
標本数    700抽出 597回収(回収率85.3%)
標本抽出法  無作為抽出法
調査方法   留置調査法(対象者の自記式アンケート)
       配布・回収は最寄りの教育委員会と県立高等学校に依頼
調査時期   平成5年7月20日~8月31日

  第2節 調査結果の分析

 分析に当たっては、地域に対する意識、家庭生活に対する意識、個人の生き方・考え方、生活実態の4項目について、地域別、年齢層別、性別など多角的に検討した。
 「1 地域に対する意識」については、地域に対するイメージ、住み良さと魅力、地域の人々の気質、近所づきあい等について考察した。
 「2 家庭生活に対する意識」については、くらし向き、満足度、親と子との同居、将来の生活に対する不安、県や町村に対する要望等について考察した。
 「3 個人としての生き方・考え方」については、伝統行事、地域の行事、家事等の日常生活の具体例について考察した。
 「4 生活実態」については、生活時間や消費活動について考察した。