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県境山間部の生活文化(平成5年度)

1 四国のへそ-未来につなぐ

 新宮茶の生産と販売をしている**さん(32歳)は、「15年前までは陸の孤島で、松山にお茶の販売に行ったとき、『新宮から来ました。』というと、『ああ、和歌山の新宮から来たのか。』とか、『ああ、県の東の端の村だな。』という認識しかありませんでした。新宮に住む者にとって、つくづく情けないことだと思いました。」と当時のことを振り返る。
 松山を中心として、新宮をみた場合の、相対位置はなるほど県の東端に違いない。しかしながら、視点を変えて新宮をみたらどうなるのか。図表2-2-1に示すように、新宮村(役場)の絶対位置は、北緯33°56′34″、東経133°38′33″である。とくに、高速自動車道の松山自動車道・高松自動車道・高知自動車道が開通し、新宮村に隣接する川之江市金生町に川之江JCT(ジャンクション)がつくられた。将来、徳島自動車道が開通すると、川之江JCTの近くに川之江東JCT(仮称)が完成する。そうなるとこの地域はまさに四国のへそとなる。新宮から50km圏には、愛媛県東予市、香川県高松市、高知県安芸市、高知市が、80キロ圈には、愛媛県松山市、徳島県徳島市、高知県室戸市がある。高速自動車道により、この地域は、愛媛県の東の端というイメージから脱却し、逆に愛媛と香川・高知・徳島を結ぶ人、物、文化交流の基地に生まれ変わろうとしている。
 新宮村は四国山地北部の法皇(ほうおう)山脈が南から東へ連なる、平石山825.6m、呉石山826.9mの陵線を結ぶ800m級の山々で川之江市と接している。西の伊予三島とは、銅山川の支流中ノ川で境界となし、南部の高知県大豊町とは、橡尾(とちを)山1,222.3m、笹ヶ峰1,016.0m、三傍示(さんぼうじ)山1,157.8mを結ぶ陵線が県境である。東の徳島県山城町、池田町とは、三傍示山から剣の山1,105.8m、塩塚峰1,043.4m、峰畑山747.9mの山地を結んで県境としている。
 新宮村は法皇山脈の南側に位置するところから、嶺南(れいなん)地域と呼ばれてきた。その嶺南にほぼ平行に銅山川が東流している。銅山川は全長約55kmで、別子山村の西部山境に源を発し、伊予三島市富郷町、金砂町を経て、新宮村を貫流し、徳島県山城町を経て、吉野川に注ぐ。
 地域の大部分が山間地で、銅山川とその支流馬立川の流域に、わずかに新宮、久保ケ内、堂成、柿の下などの平地集落がみられるが、村内の多くの集落は、山腹斜面を生活の舞台とする山の村である。愛媛の山村が、かつてそうであったように、新宮村においても焼畑耕作がみられ、椀などの食器をつくり生計とする木地(きじ)の人びともおり、炭を焼く人々、焼畑に楮(こうぞ)、三椏(みつまた)を栽培し手すき和紙を生業とする人々も多かった。比較的近年(昭和30年代)まで、伝統的な山村の生活の舞台であったところである。
 新宮の山村の人びとが築きあげてきた生活文化をみていく場合、大きな役割を果たしてきたものが、東西軸を形成する銅山川であり、もう一つは古代官道や土佐藩の参勤交代によって開削された土佐街道の南北軸であろう。

図表2-2-1 新宮村の絶対位置

図表2-2-1 新宮村の絶対位置

財団法人 道路施設協会発行の道路地図をベースに作図。