データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

県境山間部の生活文化(平成5年度)

(1)伝統の業-手すき和紙に生きる

 **さん(新宮村日浦 昭和2年生まれ 66歳)

 ア 新宮の手すき和紙

 愛媛県の手すき和紙生産額は、平成3年全国手すき和紙連合会資料によれば、福井県、鳥取県についで全国第3位(全国生産額の12.0%)である。県内の状況は、愛媛県全体の生産額7億4百万円で、事業所数は35である。そのうち川之江市(新宮村1を含む)が全体の56.8%、事業所数は15である。ついで東予市の27.8%、事業所数14、五十崎町・野村町の15.4%、事業所数6である。現在の産額は川之江市が多いが、和紙の産地としての歴史は他の産地に比べて新しい。
 森実善四郎氏は『紙と伊予(⑳)』の中で、「宇摩郡の製紙は、宝暦年間(1751年~1763年)に、嶺南の奥地にかくれて、豊富な水と、自生する楮(こうぞ)を伐(き)って、誰かが紙をすき始めたという伝承があるが、どこで誰がすいたかということは、今のところわかっていない。」と述べ、村上節太郎氏は『伊予の手漉和紙(㉑)』の中で森実氏の宝暦説を採っている。
 信藤英敏氏は『新宮村風土記(④)』の中で、于すき和紙の沿革を「新宮村において始められた年代には諸説があり、『愛媛の文化』第4号に、80年くらい前に新宮市仲(いっちゅう)で始まったとあるし、長瀬で始まったともいわれるが、市仲で聞いたところでは、伊予三島市の中ノ川へ何かの用事で行った吉岡順蔵が習って帰り、水のよい藤路谷、市仲谷、北谷でためしてみたが、結局市仲谷が残った。」また、「日浦の**さんは、6代に渡ってすいている。市仲の伝承を考え合わすと、吉岡順蔵から習ったもので、おそらく天保時代(1830年~1844年)には同家で始めたものであろう。」と天保説を採っている。小林良生氏は、「『手漉き和紙の技術巡回カード(㉒)』の記述が、創業は明治初年ころとなっており、この記述の方が新宮郷土館に書かれていた、市仲紙は今から90年前という説に近い。」と天保説に疑問を提出している。一方『愛媛県誌稿(㉓)』によれば、「元本郡(宇摩郡)の山地部たる上山村新立村(現新宮村)等は土質三椏、楮の栽培に適し、国境山脈の南方土佐地方のものと共に川之江港を経て大阪方面に移出せしが、今を去ること五十年前(本稿は明治42年から大正2年に書かれているので、50年前といえば安政6年(1859年)から文久3年(1863年)頃)、上山村並に新立村に於て製紙業を創始する者あり」とあり、『大豊町史(⑮)』には延享2年(1745年)に東豊永村に147人の紙すき人が居たの記載がある。新宮村村誌編さん室の**さんによれば、製紙技術の伝来は土佐から中ノ川を経て市仲に、または土佐から直接に市仲に、さらに川之江に伝播したのではないかとの土佐からの伝来説をとっている。
 信藤氏によれば、新宮村の手すき和紙の最盛期は、「大正8年(1918年)頃で、五味、市仲、栗の下、古野、大影、芋野など銅山川流域で120戸に余る家々が盛んに生産に励んでおり、当時は楮を原料とした障子紙が大半で、一部に三椏利用の大判紙も作られたようだ。(④)」それが第2次世界大戦を契機として、不景気で転業する家が続いてくるが、「昭和20年代前半(1947年頃)、紙が極端に不足して再び盛り返し、市仲で10戸、川淵6戸、五味3戸、芋野3戸、日浦2戸、大谷1戸、古野2戸ぐらいで作られた。(④)」それが戦後、昭和47年(1972年)時は日浦の**さん、**さんの2戸となり、さらに昭和50年(1975年)には新宮ダムの完成で、**さんは金田へ移り、**さん1戸となった。

 イ **家の農業経営

 **さんは、昭和2年(1927年)に新宮村市仲で生まれた。数え年27歳のとき**家に入籍した。市仲の生家は手すき和紙の家であった。**さんが本格的に手すき和紙を始めたのは戦後、結婚してからである。結婚当時の**家は、祖父母・両親も健在で、農業の規模は田が20a、畑60aを耕作し、山林約30haを持っている。それ以外に焼畑をして、三椏(みつまた)を栽培する農林業と手すき和紙の兼業農家である。現在の経営の中心は紙であって、**家の収入の約80%は手すき和紙の生産である。「焼畑農業は、昭和35年(1960年)ころまでやった。当時は一般的に焼畑をするとよく山火事が起こっていた。火災予防ということがやかましく言われるし、また山を焼くのは多くの人手がいるし、それよりも、三島、川之江の工場に働きに出るほうが、現金収入が多く、新宮の焼畑農業は廃れていった。」
 **さんの家の焼畑は、スギ・ヒノキ林を伐採する場合と雑木林を切る場合とがある。1回の焼畑面積は約30aないし40aである。スギ・ヒノキは売却し、伐採後木の枝を整理しておいて火入れをする。雑木を焼く場合よりも、スギ・ヒノキのほうが焼くのに手間がかからない。焼く時間は土用の暑い時分である。雑木の場合は、青葉を刈って、乾燥させて火入れをする。山焼きの場合、家族が4人~5人、隣近所から手間替えで2人~3人に来てもらっていた。
 焼いた跡に第1年目はソバをまき、くわで掘り返しておく。秋に収穫し、第2年目は陸稲やアワをまく。3年目に三椏を植える。三椏は3年で収穫できる。当時は毎年焼畑をやっていた。三椏は皮をはぎ、シロメ(図表2-2-21参照)にして、川之江の上分の商人に売っていた。三椏栽培は農家の重要な現金収入源であった。それは昭和30年代までの新宮の農家の一般的な姿であった。
 楮(こうぞ)の場合は畑に植えて、毎年収穫することが出来るのが、三椏と違うところである。楮は株から1年で芽が大きく成長する。だから三椏と椿は別々の場所に植えていた。

 ウ 手すき和紙の技術

 楮を収穫することをカリソギ、マタソギという。ソグのは楮をつかんで、枝をたわめて、鎌を根元に合わせてソグ。つぎにカジ蒸し皮をむく。家内労働でやるが、カジ蒸しは大勢人手がいるので、手間替えとか、賃金で2人~3人を雇っていた(写真2-2-21参照)。
 図表2-2-21は川之江地方の于すき和紙の工程図である。日浦の**さんの和紙づくりもだいたいにおいて同じ工程である。「若いころは手すきの時期になると、朝もはよから、昼食すぐに、夜は夜なべで忙しかった。」と述懐される。
 和紙作りについて**さんの話を要約するとつぎのようになる。

 ① 原料である楮を一定の長さに揃え、束ねて、大釜に入れる。その上にコシキをかぶせて蒸す。2時間半ほどで取り出し、
  楮の皮をヘグりとった。それを乾燥したのが黒皮である。 
 ② 黒皮を一晩水にカシてから、黒皮をヘグる道具(ヌコギとかコギハシという)にはさんで引っぱると黒皮がはがれ、それ
  をシロメという。
 ③ シロメができると苛性ソーダを入れ、約3時間ほど煮る。シロメがさらに白くなったものを、さらし場(水槽)に入れ
  て、さらに白くさらす。液が抜けたところで、さらにカルキを入れて漂白する。
 ④ それをビーター機で叩解(こうかい)し、溶解して、その中に混入しているゴミ等の不純物を選り出す。
 ⑤ 次に溶解したものをすき舟に入れる。この中にイモドロ(黄蜀葵のことで粘着力のある植物)を入れ、熊手で中をまんべ
  んなくかくはんする。
 ⑥ 竹の簀(す)をはめた桁(けた)で紙をすく。盛んなころは、早朝から晩まで、精を出してすくと500枚(1締めを1本とも
  いい、半分に裁断し2枚にする。500枚は実質1,000枚で1締めである)をすいていた。今は1日に200枚~300枚すけば
  よい方である。
 ⑦ 乾燥は天日乾燥でツケ板(干し板ともいう)に張り、条件がよければ1日に1,000枚ぐらいは干せる。500枚だったら軽
  く干せる。
 ⑧ 障子紙の規格に裁断し、1,000枚を1締めとして、商標の『日信(ひいのぶ)』(生産地日浦の日と、**さんの祖父の名
  をとって日信とした)の印を押し出荷する。取引先は川之江や三島の仲買である。

 **さんの手すき和紙は、楮をコシキで蒸し、皮をはぐのに1日、アク抜き(苛性ソーダ液)3日、カルキを入れ漂白に1日、ゴミのけ1日、手すき1日、乾燥1日で最低8日で製品となる。
 紙すきは、昔は時期、時期の農閑期や冬期に集中していた。今は年間を通してすいている。製品の大部分は障子紙であるが、注文があれば書道紙もすく。書道紙の場合は、楮と三椏を混ぜてすく。その割合は**さんの多年の経験にもとづいている。楮の繊維は強く、三椏は繊維が細くつやがある。

 エ 新宮和紙の特徴と継承

 新宮の手すき和紙といっても、その継承者は**さん1人となった。だから日信和紙の特徴といった方がよいかも知れない。
 川之江の和紙に対して、問屋などは「山紙」と呼んでいる。山と里の紙の違いは、里の川之江のものは楮にパルプを混ぜている。日信の「山紙」は楮100%であり、紙質が強いことである。「山紙」はまた、ほこりが付きにくいとも言われている。
 **さんところでは、原料の楮は家に近い裏山で20aほどの畑で栽培している。不足する分は他の農家から仕入れている。**さんには子どもさんが3人であるが、みな新宮から他に出ている。今のところ**さんのあとを継ぐという見通しはない。今もし、新しく手すき和紙を始めるとすると、4年~5年の修業が必要であるとのこと。かつて最盛期には120戸に余る家々で手すき和紙の生産に従事していた新宮が、今は**さん1人となった。この伝統の手すき和紙が、**さん一代で新宮から消えるのは寂しい限りである。若い後継者の出現を心待ちしているのは**さんだけではないだろう。

写真2-2-21 新宮村日浦の楮畑

写真2-2-21 新宮村日浦の楮畑

**氏宅の裏山の楮畑。平成5年7月撮影

写真2-2-23 手すき和紙の作業場

写真2-2-23 手すき和紙の作業場

新宮村日浦の**氏の作業場。平成5年7月撮影