データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

県境山間部の生活文化(平成5年度)

(2)山村留学センターを支える人たち

 **さん(広田村高市 昭和7年生まれ 61歳)
 **さん(広田村高市 昭和47年生まれ 21歳)

 ア 松山から赴任した指導員

 山村留学センターには4人の指導員がいて、24時間体制で25人の留学生の世話をしている。このうち昨年春の開設当初から、指導員として勤務している**さんと**さんは、二人とも松山市出身で、この制度ができてから広田村に赴任した。広田に来たきっかけについて、**さんは次のように語った。

 初年度は、私たち二人のほかに所長がいましたが、途中で体をこわしまして、1年でやめました。前所長と私、それに**さんのお父さんの3人はテニス仲間だったんですが、前所長が広田村の教育長と知り合いで、留学センターの開設に当たり「教育現場の経験のある者を。」と請われてやってきたんです。もともと私は、松山周辺の中学校で理科の教師をしておりましたが、少し早めに退職して、自分のしたいことをやっていました。
 着任するまで、広田村とは縁はなかったんです。はじめはまったくわかりませんから、こんな所でうまく行くんだろうかという不安がありました。でも、落成式で地元の人たちと接して、すごい力の入れようで、地元の人が非常に協力的であることにびっくりしました。

 **さんも、ここに来るようになったいきさつと第一印象を続けて語る。

 去年の所長さん、今年の**所長さん、両方とも父の知人で、留学センターの若い指導員を探しているという話を聞いた父は、最初、姉に持ち掛けたんですが、私は「自分の方が子供が好きなので、ぜひ譲って欲しい。」と申し出たんです。高校在学中に両方の祖母が入院し、進学をあきらめてずっとその世話をしていたんです。もともとは、デザイン関係の仕事に興味があったのですが、積極的に子供と触れ合う仕事がしたいと思い、こちらに来ました。
 私は子供たちが留学して来る少し前からここで生活し始めたんですが、とにかく、すごく静かな所なんです。夜になると人の声が聞こえないんです。にぎやかさがない。それが、子供たちが留学してきた途端にうるさいくらいで、運動場や向こうの神社で声がするなどにぎやかになり、村のお年寄りの人たちは「活気が出てきた。」と、非常に喜んでくれました。
 初めて来たときは、多少の不安がありました。仕事に就くこと自体が初めてだったので、何もわからないまま来てしまって、やっていけるかなあって。

 イ 24時間体制の勤務

 「広田村山村留学生(国木(くぬぎ)ハイランドビレッジ)募集要項」は、次のような記述が見られる。
 「留学生は、1年間親もとを離れて、広田村の全寮制の寄宿舎(山村留学センター)で集団生活し、地元の高市小学校に通学し、少人数の学級で行き届いた学校教育を受け、豊かな自然環境の中で、都会では味わえない自然体験や勤労体験をしてもらい、一方、地元の子どもは新しい仲間から刺激を受け、お互いの長所を伸ばし、欠点を補い合いながら、教育の振興をはかるというものです。寄宿舎(山村留学センター)では、専門の指導員等4人の職員を配置し、多彩な活動や体験学習を行い、24時間体制で子どもさんのお世話をします。」
 広田村の山村留学制度は、他地域の留学制度の多くが「里親」中心なのに対して、全寮制の寄宿舎生活をセールスポイントにしている(写真3-2-16参照)。実は、高市地域には高齢者の世帯が多く、子供たちを受け入れ可能な家庭がほとんどないためであるが、逆にそれが人気の秘密にもなっている。したがって、この留学制度を実質的に支えているのは、留学センターの指導員の方々と言える。
 指導員の勤務について尋ねてみた。平日(月曜から金曜)は昼間子供たちが学校に出掛けているので、むしろ学校に行かない週末(土曜・日曜)や休日が忙しくて、センターの職員は休めない。女性の**さんだけは夜勤がないが、毎朝6時半から午後は7時までが基本で、子供たちが消灯する9時まで残ることもある。「初めのうちは、疲れてしまって、お風呂も入らずに寝てしまうことも多かった。」という。残る3人の男子職員は、毎朝6時半から午後9時までが基本で、さらに交代で3日に1回夜勤がある。深夜の乾燥機はフル稼働で、夜中に2回は起きて、乾いた洗濯物を取り出す仕事が待っている。就寝までに子供たちが洗濯した衣類も、25人分となると相当な量である。また、途中で起こしてトイレに行かせないと、ふとんに地図を書いてしまう子もいる。急な病人がでると、文字通り「寝ずの番」をしなければならない。
 **所長は、「若い人は週2日の休日を求めてるんですが、今のところ日曜の数だけで我慢してもらっているんです。その分、子供たちが学校へ行っている時間帯(8時半から午後3時)に、交代で帰って休んでもらってるんですが、それでも今の人数では土日の分が休めません。若い人には、きついようです。」と語る。留学制度を陰で支えている指導員の方々の苦労は、こうした変則的な勤務時間のように数字に表れる面もさることながら、「人の生命を、しかも遠く親元を離れて過ごす小さな子供たちをあずかる仕事。」という目に見えない面の重責にある。それだけに、地域の人の支えがありがたいと、**さんは言う。

 実は、私にも悩みがあるんです。それは、私たち自身がもっと地域の人たちと触れ合える機会を作りたいのですが、時間がずれていてなかなかできません。高市の人は働きものですから、私の方に比較的ゆとりのある時間帯、子供たちが学校へ行っている昼間は、皆さんよく働いています。逆に、時々誘ってもいただくんですが、皆さんが「一杯やろう。」と言うころは、寄宿舎の一番大事な時間で、私の方がなかなか抜けられないんです。

 ウ 希望者多数で、例外的に引き受けた「里親」

 **さん(広田村高市 昭和10年生まれ 58歳)
 **さん(広田村高市 昭和13年生まれ 55歳)
 **さんは、現在、村の収入役で、高市小学校の校門を出てすぐの所に住んでいる。以前には教育長も務めたこともあり、そのころから高市小学校の児童数の激減に頭を悩ませていたという。特に、学年によっては児童がいないという状況では、教育上も好ましくないと感じ、少しでも高市小学校の児童が増えるように、個人的に里子を引き取ろうと考え、奥さんとともに児童相談所に行ったこともあるという。
 広田村の山村留学制度は全寮制の寄宿舎生活が原則で、それをセールスポイントにしているのだが、初年度には4人、2年目も2人ほど、募集定員を超える応募があった。「どうしても、子供を広田村にあずけたい。」という親の熱意もあって、例外的に、地域住民の家で子供をあずかる「里親」の引き受け手を探すことになった。高市では比較的若手で、しかも、以前から教育にかかわってきた**さん夫婦が引き受けることになった。
 子供は多いほどいいですよ。今は、どんどん子供が減ってくるし、一つの家庭でも子供さんが少ないでしょ。子供同士のふれあいというか、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)するというような精神的な練れが少ないと思うんですよ。学校も、少人数は家庭的というが、少なすぎてはねえ。私も昭和38年(1963年)から5年ほどは、高市小学校の教壇に立ったこともあるんですがね。全校児童が77人おった。ソフトボールのチームも作れたし、子供が活気があった。それが、子供が少なくなると勉強にしても、自分たちでできる子できん子の熔(らく)印を決めつけてしもて、競争意識が乏しくなるんですね。子供が多いほうが、お互いのためにええんです。

 里親を引き受けられての苦労話を聞こうとしたら、「私は、だいたい勤めに出とりますけん、ほとんどの世話は女房がやってくれてます。女房の協力がなかったら、こんなことはできません。功労者は女房です。」と、とにかく奥さんに感謝しているようだ。
 奥さんの**さんも、かつて校務員として高市小学校に14年ほど勤務した経験があり、子供とともに過ごしたり、面倒を見たりすることが大好きだという。**さんに、里親になってからの生活の変化などを聞かせてもらった。

 我が子のように、というよりも、我が子以上に心配することが増えましたね。風邪引いた、熱が出た、いうたら、夜よう寝んです。ずっとついて、見ないかんのです。それに、ちょっとした傷なんか、我が子だと「そのくらいじゃったら自分でおし。」で済ませるところなのに、今の子は「おばちゃん、消毒して。」と言われると見てやりますし。
 子供がいなければ、二人ぎりじゃったら、よそへ出ていっても少々遅うなっても構わんかったですが、今は、時間には戻らないかんでしょ。でも、うちの中がにぎやかになって、二人ぎりだと、笑ういうたらテレビ見て笑うくらいで、あまり話もしないけど、子供がおるといっしょにつばえたりしてね。
 今は、楽しゅうてしようがないです。初めの1学期は長うてね。早う夏休みがこんかのーと思ってました。夏休みに、子供らが実家に帰っておらんなって初めて寂しいもんじゃのーと感じたんです。今はもう、子供がおらんといかん状態です。
 **さんがあずかっている子供たちも、食事だけは、留学センターにいる25人の子供たちと一緒にするが、あとの生活は**さんの家で過ごす。生活の時間帯は留学センターに合わせているが、風呂だけは、就寝前にずらしているという。

 「せっかく遠くからきとるんやけん、もっといろんな所へ、子供ら連れてってやれたらええんじゃけど。」言うて家内ともよう話すんですが、「里親」の子ぎりが飛び抜けてはいけませんから、気い使っています。私は釣りが好きなもんで、前はよう出かけよったんですが、子供らおいて行くのもなんじゃし。
 弟が松山で散髪屋をしとりますので、月に1回だけ、センターに許可をもろうて、その時は夕食も止めてもろて、連れてってやるのが楽しみなんです。

写真3-2-16 留学センター内の居室

写真3-2-16 留学センター内の居室

当初4人用に計画していたものを5人用に改造している。平成5年5月撮影