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愛媛の景観(平成8年度)

(2)手づくりの文化

 **さん(喜多郡内子町内子 昭和22年生まれ 49歳)

 ア 内子座甦(よみがえ)る

 「古い歴史をもつ内子町には、往時を語る豊かな文化遺産が数多く残っています。その中でも現在町内外の人から注目されているのが内子座です(写真3-1-18参照)。
 この町は、江戸時代から和紙と木蠟の生産に尽力してきましたが、明治時代、木蠟が海外市場を得て、奇跡的に巨大な富を集めたのです。裕福な実業家たちは、自分たちがもうけたお金を町に還元しようとして、当時町民に愛されていた芸能(人形芝居など)を楽しむために、大正5年(1916年)株式会社内子座を設立して、木造の芝居小屋「内子座」を建設したのです。
 この小屋も時代の流れには勝てず、戦後まもなく映画館に、そして昭和40年代前半からは商工会の事務所として使われましたが、それも時代に取り残され廃屋となり壊されようとしていたのです。この時、内子座を救ったのが、昭和40年後半から起こった町並保存運動で得た「残して活かす」という認識でした。この認識に揺り動かされた人々に支えられ、昭和60年(1985年)に再び芝居小屋に戻ることができました。復元後は、積極的に優れた芸術家を招き内子座の舞台は格調高く育てられています。」

 イ 一流の人の芸に触れてみたい

 「昭和60年12月に、内子座の活用について熱い思いを抱いている仲間6名で、復元された内子座をどう活用したらよいかということで『蔵漆会(くらしっくかい)』を結成しました。これは、地方では一流の演劇・音楽・落語などに接する機会が少ない。ここでぜひ一流の芸人の芸に触れてみたいと考えてつくられたものです。名前は蔵と漆喰壁より町並みのイメージに合ったものとして考えました。
 今年(平成8年)で5回目の開催になりますが、芸の第一人者というのは、芸だけでなく人間的にもすごいというのが公演を通しての印象です。例えばある落語家の独演会の後に開いた懇談会の時のことです。その落語家は内子座の管理人さんの前に正座され、『今日は自分としては満足のいく落語ができました。塵(ちり)一つない清楚(そ)な会場で公演できて感動しました』と深々と頭を下げられたわけです。ご本人はもとより、回りのわたしたちまで感激しました。また、ある劇団の公演の時も、舞台が終わって皆さんが荷物をトラックに積み込むのに午前0時を過ぎても休まず、だれ一人として不満を言う人はいません。座長さんも大分体調が悪かったのですが、みんなの仕事が済むまで待たれて、のけぞる(後ろへそりかえる)こともなく、みんなにいちいち頭を下げていました。一座の人間関係の素晴らしさ、そのあたりから本当の芸術が生まれてくるのだと思いました。芸以上のものに触れた思いです。
 内子町内には、わたしたちの『蔵漆会』とは別に、内子座をもっと活用して、町の人々とともに文化意識を高めたいという目的で、若い人たちによって結成された『ふれだいこ』や『おたまじゃくし』の会があります。」

 ウ 手づくりを求めて

 **さんの話を続ける。
 「昔はテレビなどがなかったから、自分らが演じて楽しむということが、内子座のもともとのスタートではないかと思います。だから、中央から呼んでいい芝居・落語などをやるのも大変いいのですが、しかし、ここで一流の芸に触れて得た感動を、自分らで何か生かさなければならないと思うのです。内子には自分が楽しみながら手弁当で作り上げていくような手づくりの伝統があって、内子座はもともと町民の芝居好きがこうじて建てられたものと思います。」
 **さんが、平成5年に会社の創業100周年事業として、地域のために何かをやろうと考えていた時、**さんも参加している県内の異業種交流の会「真味(しんみ)会」のみなさんが、内子座を使わぬ手はないと言って後押しをしてくれ、脚本から衣装まで全部手づくりで、「田舎芝居」の上演にこぎつけることができた。「田舎芝居」の出し物は「新説忠臣蔵」。主役にはもちろん**さんが祭り上げられて浅野内匠頭に抜擢(ばってき)された。「真味会」の会員(13名)は、仕事そっちのけで毎週松山から内子町に集合して18時から練習に励んだといわれる。**さんは、「今までにない違った雰囲気でした。知った人が出演するものですから、かけ声が出たりして、本当にこれが内子座の原点ではないかと演技しながら感じました。これからは行政とは違う立場で、何か事を起こしていかねばと考えています。企業でも住民でも、個性の違う人間がそれぞれの持ち味を発揮して、ネットを組んで自らの道を探る時代が来ています。」と語る。**さんたちのこの「田舎芝居」がきっかけになって、平成6年に内子町アマチュア劇団「オーガンス」が産声をあげた。

写真3-1-18 甦った「内子座」

写真3-1-18 甦った「内子座」

平成8年7月撮影