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愛媛の景観(平成8年度)

(2)トンネルを通って

 ア 鳥坂トンネルの開通

 鳥坂トンネルは、国道56号の交通量が年々増加したため、標高約350mの大洲市北只から東宇和郡宇和町鳥坂へ隧道工事を進め、昭和45年(1970年)10月にしゅん工した。従来の15kmの距離が6.8kmに短縮され、走行時間も4分の1に短縮した。  
 『広報うわ(⑩)』に、「周囲の山々によって大きな障害をうけ、『閉ざされた宇和盆地』の感のあった宇和町は、法華津峠、鳥坂峠の両トンネルの開通によって夜明けを迎えた。(中略)このトンネルの開通によって今まで40分かかっていた鳥坂越えは、トンネルを通ると10分で大洲側へ抜け、宇和-大洲間は車で30分、宇和-松山間は1時間40分で結ばれることになり、南予と中予は急速に短くなった。
 交通の便の改良によって宇和町は、農産物などの市場を拡大することができるが、また、反対に大洲市、松山市の経済圏に入ることにもなった。新しい生産、生活のあり方について宇和町の者も、改めて考えなければならないときが来たともいえよう。」(昭和45年11月15日第198号より)
 また、愛媛新聞(昭和45年10月19日付け)には、「鳥坂トンネル開通によって国道56号宇和島-松山間はバス時代に突入しそう。宇和島自動車は現在1日5便の定期バスを13便に増やしたいと高松陸運局に申請。一方、松山-大洲間に1日6便バスを走らせている伊予鉄も大洲-宇和島間の新路線免許を申請し、目下競願中。沿線住民は宇和島からバスを利用しても松山までは2時間半、汽車と大して変わりない便利な世の中になった。大洲商工会議所と大洲商店連合会ではトンネル開通の日、正午から市内商店の宣伝カー約20台を連ねてトンネルを越えて宇和町に乗り入れ、お買物や観光は大洲でと同町の人たちに呼びかけ、商魂のたくましさを見せていた。」と記されている。

 イ 今、峠は

 前述の**さんに峠の変化について語ってもらう。
 「昭和45年(1970年)10月の鳥坂トンネル開通後は、すべて国道56号を利用するようになり、住民の生活様式は一変しました。トンネル周辺の人たちの話によると、56号の開通によって、一部の地域(久保や信里(のぶさと))の人たちは、買物するにも大型店のある大洲方面に流れるようになったと言われています。病院にしてもしかりで、交通の発達が人々の生活に与える影響の大きさがわかります。
 今、峠への道は人通りがほとんどなくなり、雑草が生い茂っている状態となっています。終戦後のある時期までは、地元の人たちが道つくりに出ていましたが、それも今はなくなり『四国のみち』のグループの人たちや、大洲青年の家の人たちによって時折整備されてはいますが、数年前に鳥坂から伊延鳥越(いのべとりごえ)間に至る山の中腹に新しい林道が設けられたこともあって、今は歩きにくい状態になっています。
 今年(平成8年)の7月24日に鳥坂峠に登ってみましたが、全く昔の面影はありませんでした。終戦後植林された木も大きくなり、宇和平野や大洲平野を一望することはできませんでした。ただ、中間地点の林道から宇和平野を眺め、昔を思い出し感動しました。今その近くに砂防ダムが建設されています。」