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愛媛の技と匠(平成9年度)

(2)木ろうのかがやき②

 イ 和ろうそくに魅せられて

 **さん(喜多郡内子町内子 大正10年生まれ 76歳)
 **さん(喜多郡内子町内子 昭和25年生まれ 47歳)
 明治・大正ころには数多くいた内子の和ろうそくづくりの職人も、時代の流れとともに激減して、現在では和ろうそく製造所は**家ただ1軒になってしまった。5代目**さんと子息の6代目**さんが、全国的にも珍しい昔ながらの手づくりによって、和ろうそくをつくり続けている。

 (ア)和ろうそく屋への道

 「わたしは5代目**を名乗っているが、3男でして、長兄は19歳で病死し、次兄は日中戦争で昭和16年(1941年)に戦死してしまった。兄たちはもとから家業を手伝うのは好きでなかったし、上級学校へいったので家の手伝いはしなかったな。そこで結局、わたしが親父(おやじ)さんからお前が後継ぎだと言いつけられた。よそへ行くわけではなく、家の仕事を継ぐのだからということで、わたしは余り勉強はしなかった。
 わたしがこの仕事を習い始めたのは、尋常高等小学校を終えてからである。身体が丈夫でなかったため兵隊検査(*1)のときに、丙種になってしまった。当時は恥ずかしかった。兵隊にいかないので、家業を継ぐのはわたしにお鉢が回ってきた。
 何とかしてわたしを仕込まないけんということで、仕事場では親父さん(4代目)の横へ並んでやりよった。最初の見習いの時期は、親父さんの前に座り、対面して仕事をした。最初は温度を勉強せい言うて、『おまえの手で、このろう鍋(なべ)の中で溶けているろうの温度を覚えておけよ。この温度を忘れられんぞ。これが和ろうそくづくりの大事なところじゃけんの。』と言いよった。初めはこんまい(小さい)ろうそくづくりをやりよった。初心者だから仕方がないわいと、ちいともろちゃあ(少しろうをもらって)練習をやりよった。どうなりこうなり一日一日が過ぎた。全部やるわけではなく、ちいともろちゃあやり、ちいともろちゃあやり、しよった。自分で独り立ちはやれんのよ。親父さんの仕事の手伝いよ。そして、盆も正月もありゃせんのよ。食べる物でもぜいたくはさせてもらえなかった。派手な生活はやらなかった。堅い生活だった。一生懸命やらされたが、一人前になるのはなかなかじゃったわい。独り立ちはなかなかできなかった。
 息子の**には、親父さん(4代目)がわたしに言よったように強制的には言わんのよ。あれせんか、これせんか言うたのではいけんので、自分でやる気にならんといけん。自分で一生懸命に仕事ができるようにならんと、楽しみというか面白いというようにならんわい。
 **は学校を出て、自分の選んだ道に進み会社勤めをしとった。大阪へ行ってたが戻って来て、この仕事をやり始めた。というのも、わたしがこの道に入って何年かたって、以前住んでいた本町(内子町)の家にいたころに、役場の人々が『内子はろうで栄えた町である。ところが、明治・大正時代には数多くいた和ろうそくづくりの職人も、時代の波に押されて、あなた(**さん)一人しか居なくなった。ろう屋があってもろうそく屋がない。ろうで栄えた町に合わさないけん。なんとかせにゃいけん。ろうそく屋をする人がいなくなってしまう。時代の流れとはいえ大変である。』と言い出した。そこで**が、金銭的なものは別として、親父の後を継がないけんということで、ろうそくづくりを習おうという気になった。
 わたしは、ろうそくづくりを始めて、実際は50年よりは長いが人に説明する時には、数字の切れ目がよくて、話がしよいから、20歳から始めて50年ということにしている。
 わたしは少年時代は虚弱体質であったが、現在までこのように働けるのは有り難いことよな。これもろうそくというものは、神様とか仏様とかにお供えして信心するから守り神であると言よるんよ。そう悟らないけん。わたしはこの道は50年とはいわんが、いつまでたっても50年ということにしとる。」

 (イ)苦心の手づくり

 「和ろうそくづくりを始めて一人前だと思うようになるまでには、どのくらいかかったかのう。和ろうそくには種類が7品あるからな。5・7・10・20・30・50・100匁(1匁は約3.75g)とある。そのほかは注文によっていろいろとつくっている。手で塗り重ねていくのは容易ではないぞな。観光客が、『こんな辛気(しんき)な仕事をようやらいねや。』言うてのう、感心しよらい。難しいといえば、何を習っても初めの間は難しいわいな。順々に、1回が2回、2回が3回と繰り返していけば上手にはなるがな。繰り返して熟練することが大事よな。
 小さな細い和ろうそくから訓練していくんよな。大きいのは、1度に太らす和ろうそくの数は少ないけんど、重いし長くて、太らすのが難しいけんな(写真2-4-26参照)。
 和ろうそくづくりは芯(しん)にろうをなじませてから、芯の中心に挿(さ)した竹串(ぐし)を右手で回転させながら、左手で芯にろう鍋で溶かしたろうをすくってはなすりつけて乾かし、それを何回となく繰り返して太らしていくわけよ。一重・二重と塗り重ねて行くんで、断面は木の年輪のようになっとらいなあ。乾かすのも乾かし過ぎるとろうが重ねて付かんから、乾かしているときの温度管理も大事なことよな。和ろうそくづくりでは温度の管理が一番大事じゃなあ。ろう鍋も温度計を一応突っ込んでみて、手を入れた感覚と合わしてうまいこといっとると分かってくるようになるんよな。自分の手に温度を記憶させるわけよな。室(むろ)(加工を容易にするため、一定の温度に保っておく)の中に入れておいたろうそくも、ほっぺたに当ててみたら、適温かどうか分かるようになってくる。
 冬の寒いときは、ろうがやたら太くついていけん。冷えるのも早いから火をしょっちゅうみよらないけん。夏は夏でな、暑すぎて溶けていけんし、太らんので加減してやらないけんのよ。春先と秋がええなあ(写真2-4-27参照)。」
 **さんも、「温度の管理は、手で大体できるようになりました。技術的に難しいところは、太らしていくときのろうの温度、ろうの粘りです。さらりとしていたらくっつかない。ろう鍋を混ぜながら粘り具合を確かめて、別のろう鍋で沸かしているろうを加えて手で混ぜてろうの粘りを手で感じて、ろうを重ねて塗っていくわけです。
 春と秋が温度の点からいって、一番うまく太るんです。冬は、ろうがはじけたり、ひび割れがはいったりするんです。ガスストーブをいれて部屋の温度を暖めて、20℃くらいで一定にして作業をするんです。ちょっとした温度の変化で違ってくるんですね。夏の暑い時にはエアコンをつけているけれども、太りは悪いです。エアコンを20℃くらいにセットしても、室温は29℃くらいになります。5匁の物を200本つくるとすると、春や秋のように室温が適温であれば太らすのは大体午前中で終わり、午後は仕上げにかかります。しかし、室温が30℃近くなると、1時間半ぐらい作業が遅れます。手塗りが遅れると仕上げが終わるのは、夜の8時も9時もになることもあるんです。朝、芯にろうをなじませるところから始めて、仕上げまでを1日でやってしまうわけです。普段はいつも朝8時前ころから段取りをして9時くらいから作業を始めて、夕方の5時か6時には大体終わってしまうんですよ。それが季節によって段々ずれて来るんです。結局、太りが速かったら全体の作業も速いです。
 親父から手取り足取りで習ったことはありません。仕事は見て覚えてきました。最初は温度を覚えるために、『手をつけてみよ。』と言われたり、『このくらいの温度なんぞ。覚えておけよ。』と言われた。それからちょっとやってみるかと、5、6本渡されてやってみた。最初は表面が凸凹でガタガタという感じで全然形にならなかった。5、6本がお互いにベッタリくっついてしまって、回らなんだりしました。1本1本が別々に回って、ろうが満遍なく全体に薄くなくごつくなくつくというのが難しい。そのためには、ろうの温度と粘りの管理が難しかった。作業の速度は温度によって左右されるので、生活全体が温度によってコントロールされているとも言えるわけです。」と話す。

 (ウ)一家総出で

 **さんは、「家内は芯巻きをしよるのよ(写真2-4-29参照)。芯巻きは**家では代々家内の仕事になっとる。家内はもう50年以上になるけんな。今も元気でやってもらいよる。芯は、和紙を筒状にしたものにイグサの皮を剥(は)いだもの(トウシン)を巻き付けて真綿で止めてつくる。和ろうそくの大きさで芯の太さも変わってくるのよ。家族の皆が分担して仕事をせんと、和ろうそくはできんのよ。」と言う。
 **さんは、「おふくろは、夜、芯巻きをしたり、昼間も観光客に応対する間の時間を使って芯巻きをしています。芯ができてなかったら仕事ができませんからね。一番の基本ですからね。1日の仕事に必要な、大きさ、本数を前もって考えて、前日の夜までに準備をしてくれるわけです。近所に嫁いでいる妹も、忙しいときにはやって来て、商品の包装や発送を、手伝ってくれています。」と感謝の気持ちを言葉にする。
 **さんは、「ろうそくの太さは、人差し指と親指でつくった丸が50匁、自分の手と親父(4代目)の手は大きさが違うので、自分の手でそれぞれのろうそくの重さの違いによる太さを覚えていかないと、親父が『まだこまいぞ、まだこまいぞ。』言うてな、そばから注意しよった。計量してみなくても、手の感覚で重さは大体分かってくる。握り具合で分かるようになるけんな。やまかんよな。家内に、『もう一遍、もうちいと塗らんとこまいよ。』なんか言われてな。家内は、時々念のために計ってみてな、『ちいとまだ足らんぜ。』と言いよる。そして、『頭もお尻も、もうちょっと大きしたら、格好がようなろうがえ。』などとも言うんですよ。『そがいなことは、目つぶっていてもできるんじゃ。』というたりして、わたしもよもだ(ふざけもの)になってしもうたよ。
 左手でろうそくの下側から上側へろうをむらなくつけていく。右手はろうそくを回転させて年輪のように丸くろうがつくようにして太らしていく。その時に力の加え加減を調節して、下が細く頭の方が大きくなるようにする。一度にはならんのでな。何遍も塗っていく間に形を整えていく。力を入れ過ぎると太らんし、ある程度力を入れんと形は整わんし、繰り返しての修練よな。一人前になるまでには、大体10年くらいかかるかのう。
 仕事で一番難しいのは、最後の仕上げのところで頭を削って芯を出すところじゃなあ。芯を落としたらさっぱりじゃけんな。芯がなかったらろうそくの意味がなくなる。修理するいうてものう、なかなかどうにもならんけんのう。一発勝負じゃわいなあ。やっぱり長年やりよったら、勘で分かってくるんよなあ。余り具合がな。和ろうそくを太らしてきた年輪があるけんな。芯が残らなかったら台なしよ。全部が水の泡じゃけんな。また、溶かし直さないけんけんな。当然のことじゃが、製品は毎日同じものができるように心掛けてやっているがな(写真2-4-31参照)。」と、苦心も面白い話にしてしまった。
 「わたし(**さん)は14、5年になるんですけど、それまでに見習いの期間が2年くらいあるんです。最初10本くらいから始めて、50本くらいを1日に仕上げるという具合で、会社勤めをしていたから、休みの時に帰ってきて教えてもらった。仕事の上で独立したのは、10年近くたっていました。
 親父(おやじ)(**さん)も今言よったが、できたな思うて最後に芯を出すところで切り過ぎたら、パアですからね。難儀してつくったのに、1日掛けたものがゼロになってしまうわけです。わたしも、毎日親父と同じように形のそろったいいろうそくをつくらないかんと努力しよるんですが、生き物みたいなもので、形もぴしっと型にはめたようにはできませんね。しかし、お客さんが喜んで、買って帰ってくれるような製品をつくり続けていきたいと思います。使ってみたら温かみがあって非常に良かったから、続けて送ってほしいといわれると、大変にうれしいですね。」
 **さんは、「手のひらで、しょっちゅうろう鍋を混ぜ繰り(かき混ぜる)よるけん、手の感覚が違ってくる。木ろうだからハゼには負ける。わたしの手もろう負けというのか、ろう焼けというのか黒くなってしまった。右と左で手の色が他人の手のように違っている。わたしのように長年やりよると、ろうで艶(つや)が出て来る。ろうはクリームやポマード、クレヨンにも使うけんな。
 ここで、ぬくいものばっかりいろいよるけん(さわっているから)、左手は冬は手袋をしないと冷やい。右手は冷ようないわい。同じ人間の生身の手なのに左右で違うんよな。手は大事にするんよ。
 今は軌道に乗ったというのか、お陰で売り切れてしまうことが多い。よく売れるのは、家庭の仏壇用の長さが12、3cmのな、5匁の和ろうそくが目玉商品のようによく売れる。大量につくらないけんけんな。休みなしにつくらないけん。近ごろは店頭では、品切れが多いと言うて業(ごう)やかれる(業を煮やされる)。和ろうそくには、さらしていないろうを使う。洋ろうそくはパラフィンで油だから煤(すす)が出る。和ろうそくはろうだから煤は出ない。注文に応じるのが難しい状況になっとるなあ。これも、息子が手伝うてやろういうてくれたお陰で、まあ軌道に乗ったといえるかなあ。年とるとやれる仕事はないしのう。よそへ行かんでもええしな。息子も会社へ行きよったんじゃが、親父さんが弱ってしもたら習えんぞ、今の元気なうちにちいとでも習とかないけんぞとようやくこの道に入ってきたわけよ。」と話す。

 (エ)町おこしとともに

 「護国(内子町の重要伝統的建造物群保存地区の一角)の家におったのが17年、次いで街の中の本町通りに住み、そして役場の町並みつくりに協力して、平成6年からこの坂町の家で住むようになった。わたしが5代目で、6代目の息子の**と一緒に仕事ができ、孫は上の女の子が高校生で下の男の子が小学生じゃが、『7、8代目を継ぐか。』言うたら分かっとって言いよるのかどうかは分からんが『うん。』と言いよる。うれしいわい。小さいときから、爺(じい)さんや親父さんの仕事を見て育っとるからなあ。
 ご先祖さんには朝と晩には火をあげて、和ろうそくが奇麗にできますようにと信心するのよ。この家は終戦後3度目の家になるが、店舗を大きくして、家が古いからガラス戸にしたりして、増改築したんよ。ようやくこういう格好にしたら、町のデザイン賞をもろうてな。今度は息子の家を建てないけん。わたし(**さん)はあちこちしとるけん、息子の代で落ち着いてやってくれよと言いよる。息子の家は、ここを基本というか参考にして、ええ家を建ててくれよとも言よるんよ。
 健康には注意を払っているが、肩が凝ったり、腰が痛かったりして困る。長く座ったままの姿勢での作業じゃけんな。身体の使う部分は使うけれども、全体には運動不足になるなあ。」
 「親父さん(**さん)の若い時代には決まった休日はなかったらしいが、今は月曜日を休日にしています。家族にしてみれば、土・日が休日でないのは都合が悪い。子供たちは日曜日を休んで遊びに行こうやと言よる。お父さんらは、日曜日に仕事してと言よる。観光客にしてみれば、日曜日を使ってやって来るわけですから、休業してたら困りますからね。
 ろうを沸かすために炭火を使いますから室温が高くなって、そのためにどうしても冷たいお茶を沢山飲みます。胃腸の具合が悪くなりがちですし、運動不足になりますね。1日座りっぱなしですから。夏などは仕事を終えた後、夕食がなかなか喉(のど)を通りませんね。
 あぐらをかいた座り方で、ろう鍋を両膝(ひざ)で挟んで動かないようにしていますから大変です。両親が健康で、こうして親子でいつまでも一緒に仕事ができることが、一番の願いですね。」
 「(**さん)今の一番の喜びは、『**の和ろうそくでないといけん。』と言ってくれる人が、あちこちにいてくれることじゃな。『形よりも、心がこもっている**さんのろうそくでないといけん。』と言うてくれる人がいることと、**という後継ぎができたことよな。信者みたいな人がいてくれるのが、本当にうれしい。
 観光客も増えてきましたわい。皆にも喜んでもろてな。昔は坂町はつまらん言よったんよ(写真2-4-33参照)、商売にはな。登りはとととと、とととと行ってな、帰りもだだだだ行ってしもうて、店などに寄らせん言よったんよ。しかし、『**さんがここへ来たもんじゃけん、森文さん(醸造業)の所もあって、あっちこっち寄る店ができて、3倍から売り上げが伸びた。』なんのかんの言うてな、喜んでくれとらい。有名人もいろいろ来てな、写真を撮っとらい。店に入って来る観光客も多いが、気にしとったら仕事にならんから、全く無視して仕事をしていかないけんなあ。まあ、町の発展と共に頑張っていきたいと思うとるんよ。」


*1:徴兵検査のこと。徴兵適齢の壮丁に対して、兵役の適否を身体および身上にわたって検査し、甲乙丙に部類分けしてい
  た。

写真2-4-26 ろうそくを太らす

写真2-4-26 ろうそくを太らす

ろう鍋のろうをすくいながら50匁の和ろうそくを太らす**さんの技。平成9年7月撮影

写真2-4-27 和ろうそくづくりの作業場

写真2-4-27 和ろうそくづくりの作業場

左上:補充用ろう液の鍋、右上:作業用のろう鍋、下:生ろうを入れた箱。平成9年7月撮影

写真2-4-29 和ろうそくの芯

写真2-4-29 和ろうそくの芯

和ろうそくの芯。和ろうそくの大きさによって、芯の太さもかわる。平成9年7月撮影

写真2-4-31 和ろうそく

写真2-4-31 和ろうそく

大(20匁)5代目、小(5匁)6代目の製品。平成10年2月撮影

写真2-4-33 内子町坂町

写真2-4-33 内子町坂町

平成9年10月撮影