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愛媛の技と匠(平成9年度)

(2)独立独歩から協業へ

 **さん(周桑郡丹原町今井 大正12年生まれ 74歳)
 愛媛銑鉄鋳物工業団地(写真4-1-14参照)は、周桑(しゅうそう)郡丹原(たんばら)町の南郊外、中山川左岸にある。この通称「いもの団地」は、県内の銑鉄鋳物製造業者や機械加工業者が、豊富な伏流水に恵まれ国道11号へ直結するこの地に移転して形成した工業団地である(④)。
 この団地で鋳造所を経営している**さんにうかがった。

 ア 孤軍奮闘

 「終戦直後、住友機械工業(現在の住友重機械工業新居浜製造所)は、下請けの鋳物工場をすでに5社もっていました。職人二人とで鋳物工場を創業していたわたしは、この下請けの中の1社に食い込むことができました。しかし、すでにある下請けにさえ十分な仕事がない状態でしたので、仕事を回してもらうためには、他と同じことをしていたのではだめだと考えました。そこで、作業が一番難しく、利益が一番薄くて、なおかつ納期を一番急いでいる仕事を、あえてわたしに回してもらったんです。こうした仕事をこなすのは、本当に大変でした。鋳造方法などについて、職人たちと意見が一致するまで徹底的に話し合いました。しかし、こういう難しい仕事ばかりを受けることで、技術力を向上させることができたのだと思います。ですから、たまにいわゆる普通の仕事を受けたりすると、他社がするよりも簡単にでき、かつ利益も多かったです。」

 イ 鋳物は生き物

 「溶湯の作り方は、かつては、キュポラに地金とコークス(写真4-1-15参照)とを交互に入れ、コークスの燃焼で地金を溶かしていました。それが現在では、誘導炉の中に地金を入れ、電気の熱エネルギーにより地金を溶かして湯を作ります。こうしてできた湯の成分が、当初目標としたとおりかどうかを、団地内にある共同試験設備にサンプルを送って検査をします。また鋳型づくりも、現在ではほとんどの場合機械でしますから、同じ鋳型をいくつでも作ることができます。従って、きちんと成分の検査された湯を、同じ鋳型に流し込むのですから、理屈からいえば、すべてが同質の鋳物として出来上がるはずです。しかし、現実には、理屈どおりにいかずに、全体の数%は不良品が必ず出てきます。専従の担当者を置いて原因を究明し、今日の失敗を明日に繰り返さないように努力していますが、それでもまだ不良品が出るのです。毎日が、この不良品の割合を減らすこととの闘いです。それくらい、鋳物づくりは、机上の計算どおりにはいかない、難しいものなんです。『鋳物は生き物である。』と言っても言い過ぎではないと思いますよ。
 発注してくる方は、案外鋳物の技術というものを知らない場合が多いんです。どんな形のものでも簡単にできるように思っている。まるで、パンか何かを買うようなつもりですね。わたしは、鋳物くらい難しいものはないと思っています。自動車などのエンジンを例にとりますと、エンジン内のシリンダー同士の間には隔壁があるのですが、その厚さが、以前は7、8mmでした。それが最近では、わずか3mmの厚さが要求されるようになってきています。鋳物づくりは、針で突いたほどの穴が鋳物に開いていてもだめなんです。しかし、考えようによっては、こういう困難な作業に取り組むところに、仕事のしがいや面白みがあるようにも思います。
 このように難しい鋳物ですが、日本では高品質のものが作られています。それは、鋳物業者自身が高い技術力を持っていることもありますが、それだけではなく、日本の工業技術水準の高さに負うところが大きいのです。どういうことかと言いますと、例えば、地金にはスクラップを使いますが、日本には、いい品質のスクラップが多くあります。それは、スクラップの元となる船や自動車に良い素材の鉄が使われている、つまり、日本の造船業や自動車製造業の技術力が発達しているからです。また、スクラップ業者も手間をかけて、鉄を材質ごとに分別した状態で、鋳物業者に供給してくれています。日本全体で、こうした連携がとられている土台の上に、我々の鋳物業が成り立っているのです。」

 ウ 共同化・協業化を図って

 「愛媛銑鉄鋳物工業団地協同組合は、昭和47年(1972年)に、県内の銑鉄鋳物製造業者11社と機械加工業者1社によって設立されました。それまで、鋳物業者の多くは、市街地のいわゆる一等地で操業していましたので、工場を拡張するのも難しく、また、作業をする中で発生する騒音や臭気には、ずいぶんと気を遣わなければいけない状態になっていました。そこで、市街地を離れたこの地に、最新の製造設備と公害防止施設を完備した工業団地を建設すべく集まってきたわけです。
 この団地を作る上での基本的な考え方は、これからの鋳物業は、できるだけ共同化・協業化を図らなければ、立ちゆかなくなるというものでした。団地には同業者のみが集まっていますから、一つの設備を共同で使うことが容易です。例えば、製品のための各種の試験設備は、各社が個別に持つ必要はなく、団地全体で1台ずつあればいいわけです。さらに電気にしても、まとまって購入すればそれだけ安上がりになり、さらには、廃材についても、団地全体である程度の量がまとまってから処理をすれば、能率がいいわけです。
 また、協業とは、同一の生産過程で作業を分担することですが、この団地内でそれがどのように行われているかと言いますと、例えば、A社とB社があって、B社の方が資本力が低く、そのため鋳型の製作に必要な砂を処理する設備を持っていないとします。そのような場合、設備を持っているA社で砂の処理をし、それをB社に供給しています。また、地金を溶解する設備にしましても、ある一定の規模の設備でないと、かえってコストが掛かります。そこで、整った設備を持つ企業で溶解し、それを他社へ供給する体制もできています。
 このように、この工業団地は、個々の企業がただ単に集まっているというものではありません。ただ集まるだけでは、かえってコストが掛かります。それは、集まるためには、団地内の敷地を購入する費用、新しく工場設備を整える費用などが必要になるからです。これらの出費を上回るだけの利点がなければ、団地に集まった意味がありません。ですから、ここでは企業同士がいろいろな面で助け合い、お互いの長所を生かし短所を補いながら操業(*14)しているのです。そして、こうした共同・協業体制が全国的にも高い評価を得ているのです。」


*14:平成9年現在、銑鉄鋳物製造業者6社と、機械加工業者1社、シェル中子製造業者1社、鋳仕上げ業者1社が操業中で
  ある。

写真4-1-14 愛媛銑鉄鋳物工業団地全景

写真4-1-14 愛媛銑鉄鋳物工業団地全景

手前に流れているのが中山川。平成9年9月撮影

写真4-1-15 地金とコークス

写真4-1-15 地金とコークス

手前が地金(鋳物用銑鉄)、奥がコークス。平成9年7月撮影