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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅲ-八幡浜市-(平成24年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 モノを売る

 八幡浜は、宇和島(うわじま)、大洲(おおず)と並ぶ南予の中心地である。江戸時代、埋立てが行われて市街地が拡張し、港が整備されて、矢野(やの)組(旧八幡浜市のほぼ全域と西予(せいよ)市三瓶(みかめ)町・大洲市の一部)の物資集散地、さらに宇和島藩の商港として発展した。江戸時代末には藩の長崎貿易の基地となり、対岸の豊後(大分県)や大坂(大阪)方面への航路も開かれた。
 明治時代には商品の移出入が盛んに行われ、八幡浜港は、明治17年(1884年)には金額ベースで愛媛県内1位を誇った(図表3-2-1参照)。明治34年(1901年)に県内で初めての商業学校が開校(当初は郡立、のち県立移管)し、大正6年(1917年)に県内で初めて繭(まゆ)市場が開業した。大阪商船の定期船が八幡浜と大阪を結ぶとともに、佐田岬(さだみさき)半島から高知県までの宇和海沿岸の各地を結ぶ航路もあって、海運の町、商業の町としてにぎわった。
 戦後もしばらくは卸売(おろしうり)業の県全体に占める割合が比較的高く、主要な商業地として機能していたが、交通や流通形態が変化し次第に勢いを失った(図表3-2-2参照)。平成になって、新町などの中心商店街は衰退した。
 本節では、昭和30年代から50年代にかけて、八幡浜市新町(しんまち)に店を構えていたAさん(昭和8年生まれ)から、文具卸売業のようすを中心に話をうかがい、まとめた。