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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅴ -愛南町-(平成25年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第3節 城辺商店街の町並み

 『城辺(じょうへん)町誌』によると、「1861年(文久元年)堀屋成蔵(二神伝蔵祖父)が城辺に店を開いて、呉服・雑貨・穀類の販売をしたのが、本郡(南宇和郡)における商業の始まりといわれている。その後、4~5年たつと今の古町(ふるまち)に7~8軒が店を並べてようやく町らしくなり、さらに明治10~12年(1877~79 年)、舟木屋峯三郎・武内善太郎・井上半三郎をはじめ数戸が、西宇和郡より移住してきて、商家が軒を並べるようになったという。また、明治12年蓮乗寺(れんじょうじ)川付け替え工事によって、堀を埋めて今の中町(なかまち)商店街の基礎ができた。(①)」とある。しかし、宮田呉服店では、明治9年(1876年)に亡くなった当主がすでに中町で商売をしていたとの言い伝えがあり、古町以外の地域にも商店はあったようである。
 城辺商店街は、現在、古町と中町の他(ほか)に矢(や)の町(まち)、伊勢町(いせまち)で構成されている。昭和30年代から40年代にかけては、商店街の中(矢の町)にあった宇和島自動車の城辺営業所(昭和40年代初めに現在の矢の町2区に移転した。)を起点に郡内外にバスが運行され、そのバスを利用してやって来る大勢の買い物客で賑(にぎ)わう、南宇和郡内の中心的商業地であった。
 城辺商店街の町並みとくらしについて、Aさん(昭和15年生まれ)、Bさん(昭和19年生まれ)、Cさん(昭和19年生まれ)、Dさん(昭和19年生まれ)、Eさん(昭和19年生まれ)から話を聞いた。