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愛媛の祭り(平成11年度)

(1)むらざかいの守り

 **さん(伊予郡広田村多居谷 大正12年生まれ 76歳)
 広田村は、愛媛県の中部、伊予郡の南東に位置し、久万(くま)町・砥部(とべ)町・中山(なかやま)町・小田(おだ)町に接する人口1,200人たらずの山あいのむらである。総面積の86%を森林が占めるこのむらでは、農林業を主とするくらしのなかで、さまざまな祭りを行い伝承してきた。
 ここ広田村多居谷(おおいだに)では、新春の行事として、1月16日に、むら人が寄り集まって念仏を唱えて家内安全や五穀豊穣を祈願し、巨大な草履(ぞうり)を作ってむら境につるす、鬼の金剛つりという一種の厄除け祈願の行事を今に伝えている。この鬼の金剛つりは全国的にも各地で見られるが、本県では、久万町父野川(ちちのかわ)、面河(おもご)村大字杣野渋草(そまのしぶくさ)、柳谷(やなだに)村大字西谷本谷(にしたにほんたに)、肱川(ひじかわ)町大字宇和川久下(うわがわひさげ)、内海(うちうみ)村家串(いえくし)、城辺(じょうへん)町緑(みどり)などでも行われている(②)。
 広田村多居谷に生まれ育ち、鬼の金剛つりの行事に長くかかわってきた**さんに話を聞いた。

 ア 邪霊との知恵比べ

 「鬼の金剛つりは、金剛草履をこしらえてむらの境界につり下げるという祭りごとなんですが、よそから悪魔や病魔などのいろんな災難を持った悪人が今年も自分たちのむらに入らないようにという願いから行ってるんです。とてつもない大きな草履を見せて悪魔や病魔などを驚かせて退散させ、ここに住む人の安全や健康を願ったんです。そのために、このむらにはよそから来る悪人よりももっと強い巨人がいるんだぞということを相手に見せつけねばならんのです。ですから、悪人が見てこれは大変だと退散していくような恐ろしくて荒っぽい大きな草履を作る必要があるんです。このような草履は、仁王(におう)門の金剛力士が履く草履のようだというので鬼の金剛草履という名前が付いているんです。
 現在、広田村で金剛草履をつるしとる所は、多居谷と鴨滝(かもだき)・高市(たかいち)・総津(そうず)の4か所ですが、多居谷の金剛草履が一番大きいんです。この集落では、昔は1組(本郷(ほんごう)地区)と3組(黒蔵(くろぞう)地区)でそれぞれつっていたんですが、太平洋戦争が終わる前には3組の方がやめてしまい、現在は1組だけで金剛草履をこしらえています。
 この金剛草履をつるす日は、昔は旧暦の1月16日でしたが、今は念仏の口あけ(*1)に当たる新暦の1月16日にしているんです。この日は、鉦(かね)を打ち仏様を拝めるようになる日なんで、むらの者が阿弥陀(あみだ)堂に集まって初念仏を唱えるんです。そして、午後3時ころから隣の集会所の前の車庫で1時間くらいかけて金剛草履を作るんです。
 作業では、片足だけの草履と16本の箸(はし)とわらすぼ弁当(白米のご飯といりこを入れてわらで包んだ弁当)を作るんです。各家から一人ずつ出て作りますが、作り方はいろいろと技術がいるんで、代々の組長さんなどが教えています。金剛草履や縄を作る材料のわらは特別なものではなく、組長さんが普通のわらの中から奇麗なものを工面して持ってきます。金剛草履は、あまりにも大きいので形が崩れないようにタケのしんを入れて作るんですが、普通の草履みたいに折り返し折り返しして奇麗に編んだりはしないんです。わらが周りに跳ね出すように跳ね出すようにして荒っぽく編んで、口ひげみたいにするんです。ですからわら束は一締(両手を回した大きさ)くらいは必要なんです。箸は、タケを30cmくらいに切って割って作りますが、タケは割るだけで削ったらいけんのです。昔は鬼の金剛をつるす縄を張る距離が長かったんで縄ないも大変でした。50mぐらいの縄をなっていたんです。縄は草履を作る人以外がなうんですが、丈夫でないといかんのです。特に雨や雪などで草履がぬれてわらに水分が染み込むと重たくなり、縄がすぐに切れてしまうんです。
 金剛草履をつるす場所は、多居谷では、昔は外部から入ってくる道、外部に通じる往還(おうかん)(人通りの多い道)の集落の入り口です。鬼の金剛の道渡し・川渡しというて、草履は道や川をまたいでつりますが、つる位置はほとんど決まっているんです(写真1-1-2参照)。今は都合のよいことに電信柱があって縄を張る距離はずっと短くなりましたが、昔は遠くの木に結びつけていたんで大変でした。ですから丈夫な縄をなわねばならなかったんです。その他の小路には悪魔退散の守り札を立てました。現在の金剛草履をつるしている場所は、国道から多居谷に入る主要道の1か所だけになりましたが、そこには『組中安全悪魔退散』と書かれた守り札も立てます。その他の小路にも札を立てますが、お札は、1組で4か所立てています。
 金剛草履や箸、わらすぼ弁当、縄が出来上がると、集会所の大広間に設けられた祭壇にそれらをまとめてお供えし、鉦と太鼓をたたいて百八つの念仏を唱え、皆が集会所から500mくらい離れたむら境まで運んでつるすんです。寒いころで、年によっては雪が降っている時もありますが、念仏の口あけの日でもあるんで、鬼の金剛つりの行事はこの日に絶対に行います。そして、一通りの作業が終わると、皆で夕飯を食べながら今年一年のむらの事などをいろいろと話し合って帰るんです。最近は料理も簡単になって酒の肴(さかな)ぐらいになりました。」

 イ 鬼の金剛は今

 「わたしらの若いころは、つった鬼の金剛は2、3日ももたなかったです。元気な腕白坊主が必ず落としてしまうんです。落とした金剛草履の上に乗って道を引っ張り回して遊んでいたもんです。早い時はつった翌日には落としてしまい、わらすぼ弁当も食べてしまっていたんです。大人たちも落とさないよう子供たちに注意はしていたんですが、注意など聞くような者は誰もいなかったんです。昔の人はおおらかで、こうした元気な子供がいるのは楽しみだということで特に強くは注意もしなかったんです。
 今は金剛草履が何のためにあるのかという関心は、子供たちには全然ありません。子供も少なくなって、そういう遊びをするという感覚もないので、腐って切れて落ちるまで金剛草履はぶら下がっています。わたしはいつまでも金剛草履が雨に打たれながらぶら下がっているのを見ると寂しくなります。やはり腕白坊主が活発に動きまわって金剛草履をすぐに落としてしまっていたころが本当にすばらしい時代であったように思うんです。もう4、5年もすると、このような楽しい体験をした人も少なくなり、この行事もなくなってしまうのではないかと心配しているんです。
 この集落は鬼の金剛つり以外にもいろんな昔からの祭りをまじめに継承していますが、こうした祭りを通して皆が集まり、心の交流を図ったり情報交換をすることはいいことだと思っているんです。いつまでも続けていきたいものです。」


*1:正月になって、初めて仏をまつって念仏をする日。正月十六日のこと。

写真1-1-2 つるされた鬼の金剛草履 

写真1-1-2 つるされた鬼の金剛草履 

平成11年5月撮影