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愛媛の祭り(平成11年度)

(3)はまの多彩な秋祭り

 **さん(南宇和郡御荘町平城 昭和4年生まれ 70歳)
 **さん(南宇和郡御荘町平城 昭和2年生まれ 72歳)
 **さん(南宇和郡御荘町平城 昭和9年生まれ 65歳)
 御荘町の華やかな秋祭りは以前は各地区で別々の日に行われていたが、現在は毎年統一日に行われるようになった。なかでも平城地区の八幡神社の大祭は、さまざまな練りが一斉に神社境内に集う「舞い込み」が行われ、壮麗な絵巻物を見るようである。先代の後を継いで、長年八幡神社の宮司をしてきた**さんと、12年間、地区の総代をし、昨年(平成10年)まで6年間総代長をしていた**さんと**さんに平城地区の秋祭りについて話を聞いた。

 ア 統一秋祭りへ

 「(**さん)御荘の秋祭りは、昔は各地区ばらばらに行われていましたが、大正3年(1914年)に南宇和郡の郡長の呼び掛けで、八幡(はちまん)神社を中心として11月3日に統一して行われるようになりました。これは当時は不景気対策で、無駄や華美を省くという生活改善を行っていたのですが、そのときにコレラが大流行(*36)したので、旧暦の8月15日ころに、各地区まちまちに行っていた祭りの時期を遅くし、祭りの日を統一したのです。そのときに同時に、各地区からの『練りもの』を一斉に出すようになりました。」

 イ 華やかな秋祭り

 (ア)お水もらい

 「祭日(11月3日)の早朝は、お水もらいの行事から始まります(*37)。水をくむのは大当番(*38)から二人選ばれます。昔は三世代の家から選ばれていましたが、今は二世代の家からでもよくなり、健全な親子の夫婦のいる世帯から選ばれます。神社周辺の3か所の野井戸(今は開発のために1か所だけとなった。また以前のようにこんこんと水がわいてこず、あまり質のよい水ではない)から水をくんで御飯を炊き、『うちがた』(円筒形に押し抜くための竹筒の型)で抜いた12個(12か月を意味する)の御飯を神前にお供えします。この行事も今では他の地方では、あまり行っていないようです。」

 (イ)生鮒(いきふな)の放生(ほうしょう)

 「祭りの前日に、大当番がフナを3匹ないし4匹捕ってきて、フナをおけに入れて神前にお供えします。これは戦前(太平洋戦争前)からしていて、いつから始まったかよく分かりません。どうして行うかもよく分かりませんが、昔から行っていることは意味があると思うので行っているのです。祭りの翌日(11月4日)にはフナを川に放します。放す場所もどこそことは決まっていません。昔(昭和30年代)は、吉田のたんぼ(今は埋め立てて、B&G海洋センターとなっている)に放していました。今は僧都川の本流に放しています。古くは石(いわ)清水八幡宮(京都市)でも行っていたようです(*39)。ところが、石清水八幡宮でも一時、仏教の風習だからということで中止していましたが、戦後復活し、今風になりました。石清水八幡宮では放す魚は、フナ、コイ、エビ、ウナギというふうにさまざまです。だが当地では、絶えずにずっと続き、放す魚もずっとフナだけです。そこが独特だと思います。
 わたしの考えでは、このフナの放生は松山市の民話の『片目鮒(*40)』に由来するのではないかと思っています。この行事は、みんなが見に来るものではなく、わたしと大当番の3人だけで行っています。」

 (ウ)華やかな練り

 **さんは神社総代として活躍したが、祭りの当日は太鼓を長年たたいてきた。太鼓をたたく立場から話を聞いた。
 「昔は神輿かきも、各地区からくじで当たった人が3名ずつ出ていましたが、信仰心からか神輿をかいたら、健康でいいことがあるというように思ったのでしょう、皆さん神輿のくじを引く時には、自分に当たってくれというような雰囲気でした。ところが最近は神輿が重いし、若い人は肩も弱いし、あまりかいたこともないし、かくのが嫌で、今ではかき手がないような状態です。ですから自然にお祭りなんかも廃れていくんじゃあないかと思うんです。牛鬼にしても、四つ太鼓(四人の子供が乗った山車)にしても昭和24、5年(1949、50年)までは、みんなで担いでいたんですが、その後1日中担いでいると肩が痛くなってくるもんですから、車を付けたらどうだというような案が出てきまして、だんだんと車を付けるようになりました。しかし、それでは、祭りそのものはまだ廃れはしませんが、情緒というものはなくなりました。
 ここ八幡野(やはたの)には赤い牛鬼が2頭います。昔は先頭を露払いしながら大当番の役の人が行き、その後を八幡野の牛鬼が行きました。八幡野の牛鬼は、行きも帰りも先頭の次を行きます。牛鬼を担ぐときは、みんな牛鬼の中に入っていました(今は車を付けていますから中に入らなくてもいいんです)。中には、前の人の足を踏むくらい大勢の人がいました。宮出しでは頭(かしら)を振って、伊勢音頭の『とろりや』という歌に合わせて、酒も入っているので、牛鬼をゆらりゆらりと練って前や後ろに行きました。これを3回してお旅所に出て行きました。昔は、そういう頭を振る技術と力というものを自慢にしていました。そして若者は満足して、これがお祭りだと思っていました。そのような事に楽しみ、満足感を得ないようでしたら、お祭りはもうなくなってしまうんじゃあないでしょうか。
 ところが今の子はそんなのを自慢にはしません。『牛鬼の頭が下がっていても、じっと頭が止まっていてもいい。』というようになり、牛鬼のイメージも頭はじっとしているものというふうになってきています。『骨が折れるのにもうやめたらいい。』となったら伝統というものはなくなってしまいます。今のお祭りは骨の折れることをしなくなりました。宮出しには頭を振って、3回前後してお旅所に行くということをさせたいが、時間もないし、若い者は骨が折れてしないから、今ではもう文句も言わないようにしています。ただ最後の神輿が回る時には、神輿3体を三角形に組んで、それぞれは、かき棒を離さないように持って、そのまま回るようにと言ってきました。昔は、お旅所に四角い社を作り、その周りをそれぞれの練りものが3回グルグル担いで回っていましたが、今は四つ太鼓もただ車を付けて回るだけで、牛鬼ももうあまり走りません。また時間に制限が設けられており、あまり夜遅くまではできません。午前11時半から12時に神社を出発し、神社に帰るのが、午後5時から5時半というようになっています。このようなことで、昔の情緒ある牛鬼の練り方、四つ太鼓の練りの仕方なんかができないわけです。
 昔は、人間が体を鍛えていました。農作業も機械でなくて、肉体労働なので体が鍛えられていたし、年に1回の氏神様のお祭りだから一生懸命奉仕しても別にどうってことはなかったんじゃあないでしょうか。かえって祭りで担ぐ方が楽だし楽しかったんじゃあないでしょうか。
 わたしは太鼓(祭り太鼓、道中太鼓ともいう)をたたいているんですが、お旅所に練りものが全部出て行くまで、拝殿の前で太鼓を打ち続けます。全部の練りものが出るとすぐに練りものの先頭に出て、お旅所で練りものを迎えてたたきます。平城の街に行っても練りものの前に行ってたたきます。後から行って前でたたくんだから忙しいんです。昔は棒に太鼓を載せて人間が運んでいましたが、今は軽自動車で運んでいます。宮入りの時には先頭の牛鬼が帰るまでに、お宮へ帰って来て、お迎えの太鼓をたたきます。そして牛鬼が舞い込む間中、道中太鼓をたたきます。
 ところが20年ほど前に太鼓をたたく人がいなくなり、途絶えてしまいそうだったので、当時の公民館長さんの提唱で、公民館活動で太鼓教室を開いて、太鼓を継続していこうということになりました。このとき神楽(かぐら)(*41)の太鼓をたたいていたわたしに話が来て、わたしが教えることになりました。お宮のすぐ前で生まれたものですから、『門前の小僧習わぬ経を読む』でしょうか、太鼓の音も耳に入っていたし、先輩にお神楽を習うときに太鼓も習っていたので適任だったようです。人に教えるときにああだこうだと口で言っても何だし、音の大小を丸の大小で、右手でたたくときは丸の中に点を付け、また歌詞のように文句を付けてと考えて太鼓用の楽譜を作りました。それで教えるとみんなすぐに覚えてくれました。それを始めて今年(平成11年)で20年になります。**さんが太鼓の継続に力を入れてくれ、衣装なども作ってくれました。大太鼓は祭りの主役になっています。
 どこの地区も他の地区に負けるなということで、競ってまじめに練習しています。本番の日は朝7時から衣装を着替えます。式典が始まる午前8時半から神事の太鼓をたたきます。午前9時くらいからは連続して練りものが入ってきます。楽譜の一節を3回くらいたたくと5、6分たちます。すると疲れてくるから次の人と交代します。最低5人は必要です。7、8人は構えています。途中休憩は少しありますが、午後5時半くらいまではたたき続けなくてはいけません。」
 **さんも今の祭りは楽な方に傾き過ぎているのではないかと残念に思っている。
 「(**さん)祭りのほかの出しものは、骨の折れることばっかりで嫌がるんですが、この太鼓はたたきたいという希望者が案外多いんです。制限しても、次から次へと増えて困る地区もあります。
 四つ太鼓も楽なので人気があり、地区によっては四つ太鼓だけがにぎやかになってしまっています。骨が折れることより、おもしろければよいという風潮になってきて、牛鬼などに車を付けてグルグル回し始めました。『けんかでもあったらもっとおもしろい。』と言います。だが、南宇和郡はそこまではいっていません。おもしろいといっても、程を心得ており、けが人を出すまでにはなっていません。牛鬼が単調で、頭もあまり振りません。頭を振るには中に人が入らないといけないし、振るには技術が要ります。下手するとけがをします。ということでだんだんと楽な方にいってしまっているのが残念です。」

 ウ 秋祭りの運営

 **さんに平城地区の秋祭りの運営について話を聞いた。
 「秋祭りは八幡神社の氏子衆の祭りで、平城公民館区の十二常会が運営します。12年に1回各地区に大当番が当たり、これが祭り全般を運営する大変大事な当番となります。平城地区の五常会では5年に1度、四つ太鼓(櫓(やぐら)太鼓)を出す順番が当たってきます。今年はわたしの所に当たったんですが、四つ太鼓を組み立ててお旅所まで行って、けががないように巡行しなければなりません。長月地区では、だんだんと四つ太鼓に乗る人数が減ってきて、去年(平成10年)は四つ太鼓に女の子が4人乗りました。今までは女の子はあまり乗りませんでしたが、『女の子でも乗らなかったら祭りができん。』というようになってきました。四つ太鼓を運行するのに『とろりや』というおはやしがありますが、これもだんだんなくなってきています。秋祭りも、はやし言葉を今の若い人は知らないので、廃れていきつつあります。公民館にお願いして、おはやしの練習をして、『おはやしでお祭りを盛り上げようじゃないか。』という話もしています。
 五つ鹿踊りは平城、八幡野、貝塚(写真1-2-31参照)から3組出て来ます。小さな牛鬼の形をした唐獅子は節崎(ふつさき)から1組出て来ます。
 昔はお旅所は河原でしたが、以前雨が降って水害でできなかった時などは、学校の校庭になったり、文化センターが建つ前の広場になったりしました。今は南レク(南予レクレーション都市公園)のグランドになっています。でもここはあまりよい場所ではないと思います。やはり、河原のほうがいいので、昔のように河原にお旅所を戻すようにお願いしています。
 やはり祭りが好き故郷が好き、わが町わが村が一番だという人が集まると、自然にけんかや、鉢(はち)合わせ(神輿などのぶつかり合い)が起こります。昔は年に一度の祭りだからということで、お酒を飲んでふらふらして運行していました。それで昔はよくけんかも起こりました。救急車で運ばれた方もいました。お酒が過ぎたんですねえ。しかし、今はあまり飲まずに自粛しています。飲み過ぎて酔っ払ってけんかをしたとなると、やっぱり世間体が悪い。自分自身がお酒を飲んで、みっともない格好をしたらいかんということです。そういう点を今の若い方たちは自覚してきました。いいことだと思います。昔は櫓太鼓が当たったらすぐけんかになっていましたが、今は当たっても、『すまんな、こらえてやんなはいや(ください)。』ですぐ済まします。
 また、お練りの運行基準がこれまた厳しい。警察に運行の許可証をもらわないといかん。人数は何人か把握して氏名を届け出たり、保険をかけたり、まあ昔と大分違ってきました。日没までには終わらないかんですから。昔は酒の酔いと疲れで千鳥足で帰っていましたが、今は明るいうちに解散しています。」


*36:コレラが大流行したのは、大正1、3、5、9、14年であり、赤痢患者が多く出だのが大正3、4年のことである。腸
  チフスの流行は大正4、5年のことである(⑬)。いずれにせよ、この時期は伝染病の大流行が発生している。
*37:祭りの前前日(11月1日)には、オハケまたはオケオロシと呼ばれる、大きい孟宗竹(もうそうたけ)にしめ縄を三方に
  張り、紙垂(しで)(神前に供する玉串)をたらして神を迎える行事がある。
*38:大当番は、前述の五常会に、八幡野(やはたの)・貝塚(かいづか)・長崎・節崎(ふっさき)・馬背(うまのせ)・下永ノ岡・
  上永ノ岡の7地区が加わり十二常会(戦前は十一常会であったが、世帯数も500世帯から倍ぐらいに増えているので、常会
  は栄町が1つ増えた)となり、この十二常会で順番にあたる当番のこと。
*39:石清水八幡宮で8月15日に行われた祭り、貞観5年(863年)に宇佐八幡宮(大分県宇佐市)に倣って始められた。仏
  教の不殺生戒に基づいて魚鳥類を池や山に放ち供養するもので、中断を経て現在は9月15日に行われ、石清水祭と称され
  ている。
*40:松山市木屋(きや)町に「片目鮒の井戸」がある。昔、弘法大師が、四国八十八か所をめぐっていた時、木屋町を通りか
  かった。するとある家の前の井戸端で老人が取ってきたばかりの鮒を焼いていた。見ると鮒はまだ生きており、苦しそうに
  網の上ではねていた。かわいそうに思った弘法大師は、もうすでに片目が焼けただれていた鮒を老人から買取り、井戸の中
  に呪文を唱えて放してやった。すると、鮒はみるみる元気を取り戻して井戸の中を泳ぎ回ったという民話である(⑭)。
*41:招魂・鎮魂の神祭に発した神事芸能をいう。今日の神楽は鎮魂の祈禱よりも、その神事に伴う歌舞に主体が移ってい
  る。

写真1-2-31 五つ鹿踊り

写真1-2-31 五つ鹿踊り

八幡神社境内にて。平成11年11月撮影