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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

1 愛媛の地位

 昭和四六年以降

昭和四〇年代は、いざなぎ景気に代表されるような高度経済成長が続いた。所得の増加を背景に、消費も大型化高級化し「消費は美徳」という言葉もきかれ、三C(カー、クーラー、カラーテレビ)などの耐久消費財の消費が大幅に増え、雇用者化の進展、高学歴化、中流意識の浸透などがみられる。このような私的消費の面で豊かになった我が国も、反面公害の多発、生活関連社会資本の立ち遅れ(ポテンシャリティの不足)といった高度成長の影の部分を併せ持ち、こうした推移の下で、四八年の第一次石油危機がおとずれ、国の経済も、国民生活も大きな影響をうけた。このようにして四〇年代後半は混乱のうちに五〇年代へと移行した。
すなわちこれ以降、わが国の経済成長も三~五%となり、国(県)民生活も量より質へと変化していった。五〇年代に入り、引き続き消費水準の著しい向上と消費内容の個性化・多様化が進み、同時に教育などにも意識変革がみられる反面、社会資本の整備はまだまだの感があり高齢化社会における就業と年金の連携、労働時間の短縮、居住環境の悪化(特に大都市圏)、家族や社会の様々な病理的現象の進行等々が指摘される。
 以上のような時代背景のもと、本県の昭和四〇年後半から五〇年代、六〇年代への変化を見よう。政治的には、五期続いた久松県政が終り、四六年一月白石春樹県知事にバトンタッチされ、以後四期白石県政が続くこととなる。
 昭和六〇年には、本県総人口は一五三万人を数え、四六年当時より約一一万人の増加をみせている。この人口増加の要因は、経済の低成長への移行による大都市圏への人口流出の鈍化で、転出人口比は二二・二‰(四六年三六・一‰)に低下した。一方で、県人口の高齢化は進行し、六五歳以上の人口は一三%に達しようとしている(国も二桁となる)・生活意識の変化は婚姻率の低下(八・八‰→五・六‰)、離婚率の上昇(一・○八‰→一・四七‰)などともなって表れた。
 県の経済も、五〇年代は平均実質成長率が三・三%となり、四〇年前半の高い成長率はすでにみられない。
この間、産業構造はなお変化を続け、非一次産業比率(県民総生産で)は九三%を占め、なかでも第三次産業の比重が増大した(ハードからソフトへ移行)。所得水準(一人当たり県民所得)は一七二万円余で、国の水準の八四%にあたる。
 県内事業所数は約八万六、〇〇〇(六〇年)で、県民の雇用チャンスとしての人口千人当たり事業所数は、五六・二国は五五・四)で着実に増大している。就業者数も七一万五、〇〇〇人(一万人の増)となり、その就業構造は第三次産業部門が五〇%を超えるようになった。これら就業者の大部分をしめる雇用者の賃金水準(常用労働者現金給与月額)は二五万三、〇〇〇円余に達した。
 個別産業では、六〇年県農業は農家数九万一、〇〇〇戸、農家人口三七万人弱で、この一四年間にさらに農業の比重を減じたが、農業機械の保有台数は一農家当たり三・三台(四五年一・七台)と普及し、農家数、農家人口の減少を補完した。
 工業(製造業・従事者四人以上の事業所)は、六〇年、製造業従事者数一二万四、〇〇〇人で三兆一、五三六億円の出荷額をあげていた。従って従事者一人当たりの出荷額は二、五四七万円で、この粗生産性は全国平均(二、四三四万円)よりも高い。これは本県と全国の工業構造の相違などにも起因した。この工業の構造は、例えば重化学工業比率でみると六〇%であるから、四〇年代の六七%に比して県工業が国と同様に、重化学工業体質からの脱皮が進行しつつあるとみられる。
 商品流通部門として商業は、四六年当時に比して従事者数で一五%増加し一一万九、〇〇〇人強、年間商品販売額で六倍の三兆三、四七二億円となっている。同時期、前述の製造業では従事者数で横ばい、出荷額で三・四倍であることと較べると、県の産業構造が経済の安定成長期への移行という背景の下で、徐々に変質をみせつつあった。
 次に県民の生活とそれをとりまく社会資本などについてみると、県民の消費水準(家計消費支出額、全世帯)は昭和六〇年二三万九、〇〇〇円で、全国平均との格差はなお八七・四%であるが、その内容もすでにエンゲル係数的視点よりもサービス支出や教育支出などに比重が移っている。
 社会資本では、県内住宅数は六〇年時点で四八万二、〇〇〇戸、このうち持ち家はその六七・五%に当たる。一方、一戸当たり人口は三・二人で、四六年当時は四人であるから徐々に改善のあとがみられる。
なおこの年の新設住宅の着工数は一万三、〇〇〇戸であった。住居環境としての県内上・下水道の普及率はそれぞれ八七%、一五%、ごみ・し尿の処理状況は、ごみ処理量で県人口一人当たり〇・三一トン(総処理量四七万トン)、し尿処理量も同様〇・三七キリットル(五五・八キロリットル)であり、全国平均に比してし尿処理状況は、その施設処理率の高いことと相まって良好であった。
 以上の諸投資を含む県内への行政投資(生活基盤、産業基盤、農林水産、国土保全、その他の各公共的投資)は三、二八〇億円、従って県民一人当たりでは二一万四、〇〇〇円(国平均二一万九、〇〇〇円)である。この関連で地方財政をみると、県民一人当たりの歳出額(県、市町村の単純計)、地方税額はそれぞれ二五万五、〇〇〇円、六万一、〇〇〇円で、その両者の比率は二四・〇%となる。
 文化、教育分野では、情報利用としての郵便物が一億六、三七八万通、県民一人当たりの利用度にすると年間一〇八通、電話加人数は五五万台(人口千人当たり二四九台)となり、共に全国平均より不活発である。なお新聞配布部数やテレビ(カラー)の普及度はほぼ全国平均並と計測される。
 学校教育では、小・中学校教員(本務)が受け持つ児童・生徒数は二一人、高校への進学率九五・八%、大学への進学率三八・五%で、このような高進学率で、県民の高学歴化が依然として進んでいる。
 県内での社会生活の安全度を二・三の数字でみると、警察官数は二、一一一人(四六年、一、八五〇人)と増加し、一警察官当たりの人口(人口負担率)は七二五人となる(全国平均は五六〇人)。犯罪発生状況(刑法犯罪認知件数)は県人口千人当たり一四・六件、火災の発生(建物火災のみ)は年間四八七件となっていた。
 衛生・医療では、地域の衛生状況を示すといわれる乳児死亡率は七・三‰(国五・五‰)と四六年に比して一層改善のあとがみられ、県民の体位もなお上昇(男子一七歳・身長一六九・八センチメートル)する。また医療水準は、人口一○万人当たり医師数(歯科医師を除く)一五六・三人、医療施設数(同)一〇八・七人で、とくにその間の医師数の増加が顕著で全国水準を上回っていた。

表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その1

表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その1


表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その2

表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その2


表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その3

表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その3


表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その4

表3-60 最近の愛媛の地位(付、昭和46年からの推移)その4