人形 下吾川の田中権七・田中良七は人形師として、幕末から明治初年にわたり郷土芸能としての人形芝居が最も隆盛を極めたころ、阿波人形の代作を委嘱された。その人形づくりの技巧は、遠く大阪の浪花座の人たちを驚嘆させたということである。 「でこ屋」・「たる屋」・「たんす屋」などの屋号は、田中一族の屋号であった。そして屋号の示すとおり、みこし・たんす・弓矢をはじめ、そのほかに能面・塗り物などの仕事をした。 伊予岡八幡神社の八角みこし、稲荷神社のみこしなどは代表作とされている。