データベース『えひめの記憶』
伊予市誌
二、区長協議会と行政
住民組織を通じて市当局の意図を市民に伝達し、その理解を深めて協力を求める一方、広報活動によって市民の意志や希望を市政に反映するような機構をつくるためには、自主的な組織の強化が必要であると考えられてきた。その一つとして町村合併は地方自治行政力を強化推進するためには大きな意義があったのであるが、住民が地方自治から遠くなるのは合併の最大の欠点であるとさえ言われた。この欠点を補足するのが住民の自主的組織である。そこで市発足当時、新市行政区画設定に伴う区長を各地区から選出し、区長会を設置した。しかしこのことは禁止令後の措置として違法でないかという疑義が生じたので、これらの問題を当時の県企画広報課に照会したところ、行政区画設置に伴う区長制は違法であるが、業務内容が広報関係に重きを置いている場合、広報本然の姿にふさわしい広報区長・自治会長などとすれば差し支えないとの回答を得たので、一九五六(昭和三一)年一二月二六日に伊予市広報に関する規則を制定した。
一九五八(昭和三三)年九月一六日に伊予市広報区長協議会を結成して次の役員を決めた。
会長に水口雅男(上三谷)、副会長に亀井益永(上吾川)がそれぞれ選ばれた。
このとき、伊予市広報区長協議会会則を次のとおり決定した。
伊豫市広報区長協議会々則
第一条 本会は伊豫市広報区長協議会と称し、伊豫市内の広報区長全員を以て組織する。
第二条 本会の事務所は伊豫市役所内に置く。
第三条 本会は伊豫市広報区長が緊密なる連絡と意思の疎通を図り、本市地区の振興発展と広報行政の円滑なる運営を期し以って市政民主化の促進に寄与することを目的とする。
第四条 本会は前条の目的を達成するため左の部会を設ける。
一、商工水産部会
二、農林部会
第五条 前条の部会は左の事項を行う。
1 商工、水産、農林の各区部による市行政の広報に関する事項
2 地区住民の興隆発展となる公聴会の運営と民意の暢達に関する事項
3 広報、公聴に関する世論調査と、その運営に関する事項
4 広報行政の拡充強化に関する研究事項
5 市長から特に依頼された事項
6 其の他必要なる事項
第六条 総会は毎年二月、八月の二回、臨時会は必要の都度会長が之を招集する。
第七条 会議における議長の職務は会長が行う。但し会長に事故あるときは、副会長が代行する、会長、副会長共に事故あるときは出席者中より議長を選挙して議事を行うものとする。
第八条 部会長は部会招集の必要を認める場合においては事前に文書で会長に申し出でなければならない。
第九条 本会に左の役員を置く。
会長 一名
副会長 一名
正副部会長 各一名
第十条 役員は総会に於て互選し役員の任期は一年(毎年一二月三一日終期)とする。役員に欠員を生じた場合の任期は前任者の残任期間とする。但し再任を妨げない。
第十一条 会長は本会を代表し会務を総理し副会長は会長を補佐し、会長事故あるときは、その職務を代理する。
第十二条 左の事項は総会の議決を経なければならない。
1 規約の改廃
2 役員の解任及び補充
第十三条 本会の経費は負担金、補助金、その他を以って充てる。
附則
本会々則は昭和三三年九月一六日より施行する。
一九七一(昭和四六)年四月二一日に改正され、一九七四(昭和四九)年四月以来二〇〇四(平成一六)年までに一三回にわたって会則の一部改正が行われ、制度の充実が図られた。
今日までの歴代広報区長協議会会長は次のとおりである。
昭和三三年度 初代会長 水口 雅男(上三谷)
〃 三四年度 二代〃 同
〃 三五年度 三代〃 同
〃 三六年度 四代〃 同
〃 三七年度 五代〃 亀井 益永(上吾川)
〃 三八年度 六代〃 高橋 政秀(下三谷)
〃 三九年度 七代〃 同
〃 四〇年度 八代〃 高田 賢伍(灘町B)
〃 四一年度 九代〃 渡辺 峯吉( 森 )
〃 四二年度 一〇代〃 篠崎 英雄(上唐川)
〃 四三年度 一一代〃 永井 和夫(下吾川一)
〃 四四年度 一二代〃 同
〃 四五年度 一三代〃 重松甲子男(八 倉)
〃 四六年度 一四代〃 山下 二夫(大平上)
当番制副会長
〃 名越 吉隆(三島町)
〃 砂田 幸彦(灘町D)
〃 重松甲子男(八倉)
〃 四七年度 一五代会長 名越 吉隆(三島町)
〃 四八年度 一六代〃 砂田 幸彦(灘町D)
〃 四九年度 一七代〃 武智 陳(上 野)
〃 五〇年度 一八代〃 北野 務(下吾川一)
〃 五一年度 一九代〃 作間 俊雄( 森 )
〃 五二年度 二〇代〃 北野 務(下吾川一)
〃 五三年度 二一代〃 武智 陳(上 野)
〃 五四年度 二二代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 五五年度 二三代〃 日野 重雄(下三谷)
〃 五六年度 二四代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 五七年度 二五代〃 山先 清由( 森 )
〃 五八年度 二六代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 五九年度 二七代〃 山岡 藤行(上唐川)
〃 六〇年度 二八代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 六一年度 二九代〃 武智 陳(上 野)
〃 六二年度 三〇代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 六三年度 三一代〃 石城猪輪雄( 森 )
平成 元年度 三二代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 二年度 三三代〃 武知猪之助(下三谷)
〃 三年度 三四代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 四年度 三五代〃 中村 明男(三島町)
〃 五年度 三六代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 六年度 三七代〃 小笠原清人(上三谷)
〃 七年度 三八代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 八年度 三九代〃 藤本 昇(三島町)
〃 九年度 四〇代〃 荒木 茂(下吾川五)
〃 一〇年度 四一代〃 大西 要(上唐川)
〃 一一年度 四二代〃 竹田 稔(米湊C)
〃 一二年度 四三代〃 藤本 昇(三島町)
〃 一三年度 四四代〃 松岡 隆(下吾川二)
〃 一四年度 四五代〃 日野 逡一(下三谷)
〃 一五年度 四六代〃 岡田 清満(尾 崎)
〃 一六年度 四七代〃 岡崎 太郎(灘町C)
広報区長褒賞制度の実施
高度の経済成長によって著しく変わった市民の生活態度や意識に対応するため、行政は市民との意志の疎通を一層深める必要がある。そのために広報区長の負う責務は誠に大きい。合併以来新市の建設発展に多くの役割を果たしてきた広報区長も、激しい時代の移り変わりと社会風潮の変転によって人手不足とともに人材難になってきた。広報区長の処遇改善の要求にも市当局は可能な限りの配慮をしてきたが、昭和四六年度からは広報区長褒賞制度を採用して、永年勤続者に対し表彰状や感謝状を贈呈することになった。
また、昭和四七年度には広報区長の身分を表示するため記章を交付した。本市における広報区長・広報委員の定数については、広報区長は三一人、広報委員は一四九人であった。
その後鳥ノ木団地の造成などによる世帯増により、広報区長定数を昭和五四年度に三二人、昭和五八年度には三三人に改定した。また広報委員定数についても同様に昭和五三年度に一六〇人に改定した。
更に、米湊地区の世帯数増加に伴い平成五年度に広報区長定数は三四人となり、団地造成などにより広報委員も増員しており、平成一二年度から定数一七二人となっている。