データベース『えひめの記憶』
久万町誌
3 荒子・雑仕
当時の大百姓は、田地を一町歩(約一㌶)から二町歩を耕作した。余剰の田地は小作人に当てて作らせたり広い田地を、家族だけで耕作したりしたので当然労働力の不足を生じた。そこで考えついたのが、荒子・雑仕の雇用である。
『菊造は熊造の三男として生まれた。家が貧しいので、日ごろ世話になっている松太郎の家にあずけられ、作男として働くようになった。ヨネは文三の長女であるが、やはり家が貧しいので、昨年、松太郎の家に住み込んだ。菊造もヨネも、その日から毎日のように主人の命に従って松太郎夫婦と一緒に田畑に出て働いた。雨の日は家に居て、菊造は、わら細工(いわざともいう)や薪わりやその他の仕事に従事した。
ヨネは、家事の仕事を手伝った。また、冬は、一年中使う縄や履き物や俵、棧俵(米俵の両端に当てる円形のわらぶた)などを作った。ヨネは仕事の暇に、裁縫などを習った。
ふたりとも根がまじめなので、家の人にかわいがられた。菊造は、若い衆付き合い(ところにより、若衆とか、若者とも呼んでいる)の集まりには、必ず出席させてもらった。
若い衆の仲間でも中心的な人物で、当時の若い娘の、あこがれの的であった。
月日は流れた。菊造は松太郎の好意で、家を建て妻をめとって独立した。その後も、農繁期にはいつも夫婦で松太郎の家の手伝いにやってきた。いつしか彼の仕事熱心と人柄が認められ、経済的にも、政治的にも、地域の重要な人物として、信望を一身に担うようになった。ヨネも、松太郎の世話で、他家に嫁ぎ二男三女に恵まれて、幸せな生活を送っているとか。』
松造とヨネが、住み込む時の契約が、おもしろいので参考に記しておく。当時の契約は、一年ごとになされていた。
○荒子・雑仕の契約条件
要 項 荒 子 雑 仕
一年間の給料 米三俵 米一俵
現 物 支 給 労働衣 労働衣
履 物 履 物
休日(年間) 二〇日 二〇日
そ の 他 食 事 食 事
○この条件は、ところによって多少違っていた。
○また、祭日には、小遣い銭を支給したり晴れ着を買って支給した家もあった。