データベース『えひめの記憶』
久万町誌
7 果 樹
果樹のうち栗は、父二峰地区を中心にして、昭和四三年ごろより植栽を始め、昭和四五年には六〇㌶とその増反は目ざましいものであった。そして愛媛県栗振興対策協議会の主催する栗立木品評会において四九年、五〇年、五一年と連続三回一位を占めている。それまでも四六年、四七年、四八年の三年連続三位となっており、他の栗産地をおさえての入賞は、久万町の傾斜地を上手に利用した産物として大きな期待が寄せられた。その後、栗タマ等の管理、若苗の改植などが不十分な小規模栽培者の減反などによって、六〇年まで増えてきた栽培面積も、その後減少することになった。
リンゴは、昭和四五年ごろから一㌶未満ではあるが栽培が行われることになり、農業構造改善事業による植栽のほか、個人でも観光りんごを目標に栽培面積も徐々に増えてきた。六三年度には久万町の総面積は一一㌶となった。
観光りんご園は、畑野川の四園のほか二園でも運営しており、秋の味覚を楽しむ人たちで賑っている。二〇種類がある。
梅の栽培も、昔から自家用として育ててきたものが多く、販売も町内消費に個人的に対応するくらいである。
梅の加工についても、自家消費程度となっている。
柿も、大規模な栽培者はなくて、自家用のほかは農協等を通して市場へ出荷するくらいでその量はあまり多くはない。
梨の栽培は、五○年代中ごろから本格的に始められたが、観光梨園としては一戸で、その他は自家用程度と思われる。
果樹として、販売額を伸ばすのは観光園が有望といえる。