データベース『えひめの記憶』
面河村誌
一 戦前・戦時中社会教育
一 修養団体としての青年団
青年の風紀の改善と知識の向上を図るために、県下先進地では明治中期のころから青年団(会)が結成され、同時に小学校教員を講師として夜学会を興こし、学習活動が始められた。
本村においては、その起源はつまびらかではないが、大正五年、前組青年会長から村長あてに提出された次の報告文書によると、同年次には既に軌道に乗った活動がなされていた模様である。
更に愛媛県教育史によると、明治三十七年度内に郡内三町村に五夜学会(郡内は明治三十四年四月時点で一町一四か村となっている)が開設されており、明治四十三年には、上浮穴郡に郡長を団長とする郡青年団が結成されている。
また、大正八年の次の報告文書によると活動内容等もやや詳しくうかがうことができる。
青年団体に関する報告
大正八年八月十日 前組青年支会長
杣川村長 渡部基綱殿
青年団体に関する件
当青年団体は微々たるものにて、御照会の各項に該当するもの殆んど無之僅かに左記而己に有之候条此段報告候也
一 青年団体の一般状況に関する件
団名 団長種別其数 団体員総数 大正八年度経費予算 資産
前組青年団 小学校長 教員二人 二十六 なし なし
但し、経費資産は皆無、必要に応じて団員各自出金して石油を購入する位に止まる。
教科消書に関する件
甲乙の二組に分つ
甲は大正青年夜学読本 帝国青年教育会編纂
乙は高等小学読本巻の一
但し甲は高等科卒業生 乙は尋常科卒業生
教師に関する件
本校下区域は学校長 分教場区域は同教員 教授時数は一日三
時間とし五日毎に開会
団員に関する件
一 尋常科卒業者数 十五名
二 高等科卒業者数 十一名
其の他 なし
体育に関する件
毎月二回撃剣を科せり
団体訓練に関する件
一 青年は率先して悪風を打破し、地方風紀改善を以て任する
事。但し効果着々現わる
二 壮丁予備教育は団長、教員其任に当たる
三 道路指導標記建設の類
以上
本県教育史などの記述するところでは、日清・日露の両大戦を経て、青年に対する壮丁予備教育の必要性と、当時の青年の風記粛正の要求とから各地においてにわかに青年会、夜学会などが興されたとあるが、当会における活動内容からもそのことがうかがわれる。
さらに当時は石墨校は尋常小学校であり、高等科は設けられておらず、大正六・七両年度の卒業生状況をみても次のとおりであることから青年たち自身のうちにも向学心が強く、自らの要求するところによって興された修養団体であったものに違いない。
以上は前組青年団の模様であるが、村内の各部落にはそれぞれ同様のものが組織され、活動していたものであるらしく、次に掲げる報告文書によると、大正九年九月一日には杣川村青年団として結集され、新たに発足したことがわかる。
ちなみに、この報告文書中、維持経営方法を見ると、資金は、青年たちの中で多額の収入を得たものが自発的に拠出して活動を支えていたものであり、当時の人情のほどもうかがい知ることができる。
大正十年四月二十八日 石墨尋常小学校長
上浮穴郡長 古川栄一殿
男子青年たちの活動に比して女子青年たちのそれはかなり遅れていた模様である。
次の文書によると、大正九年にようやく「処女会」なるものが組織され農閑期を利用して、組織としての研鑚修養に努め始めたことがわかる。
大正十年一月六日 石墨尋常小学校長 山本市次郎
上浮穴郡長 古川栄一殿
処女会状況に関する調書
一 名 称 石墨処女会
一 会員数 拾参名(小学校卒業より満一八歳に至る未婚者)
十五歳五名 一六歳三名 一七歳三名 一八歳二名
一 役員職氏名
会長 山本市次郎
幹事 山本 初
大野キクノ
一 主なる事項
1 婦徳修養(特に敬老並に祖先崇拝之実行)
2 農閑の季節に修身・作法・裁縫を課す
3 風俗矯正及規約貯金
一 其他施設改善に関する意見
大正九年六月に初めて会を組織せるものにして、発会日尚浅くして改善に関する事項は目下研究考慮中なるが故に現在改善意見として陳上するに至らず。