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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業24-松山市②-(令和5年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1章 昭和の町並みをたどる

 松山(まつやま)市は平成17年(2005年)、旧松山市と北条(ほうじょう)市、温泉郡中島(なかじま)町が合併して誕生した。県の中央部に位置し、北は今治(いまばり)市、東は東温(とうおん)市、南は上浮穴郡久万高原(くまこうげん)町、伊予郡砥部(とべ)町、松前(まさき)町に接し、西は瀬戸内海に面している。
 加藤嘉明が慶長7年(1602年)から築城を始めた松山城を中心に市域は発展を続け、明治6年(1873年)には愛媛県庁が設置された。県都として政治経済の中心都市として成長し、平成17年に北条市、中島町と合併すると四国で初めて人口が50万人を超えた。
 旧中島町は、瀬戸内海西部に位置する6つの有人島と22の無人島で形成されている。中世には忽那水軍が瀬戸内海を舞台に活躍するなどしたため、多くの文化財、史跡が残っている。藩政時代には大洲藩と松山藩に二分されていた。昭和31年(1956年)には瀬戸内海国立公園に編入、温暖な気候と自然環境に恵まれた農漁業と観光の町である。
 本章では、合併前の中島町の中心商店街と、松山市の海の玄関口であった三津浜地区を取り上げ、昭和の町並みと人々のくらしについてまとめるとともに、町並みを復元し、当時のくらしの一端を明らかにした。