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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業25-内子町-(令和5年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 成留屋の町並み

 旧内子町には、明治22年(1889年)の町村制施行以降、内子町、満穂(みつほ)村、立川(たちかわ)村、五城(ごじょう)村、大瀬(おおせ)村、村前(むらさき)村が成立していた。昭和4年(1929年)に村前村が周辺の村に編入され、戦後になって昭和30年(1955年)、残る1町4村が合併して内子町となった。旧大瀬村であった内子町大瀬地区は内子町の東半分を占める地域であり、その多くは中山間地である。小田川沿いのわずかな谷底平野に成留屋の町並みが形成され、大瀬地区の中心地として発展し、旧大瀬村役場も置かれていた。現在は成留屋の町並みがある大瀬自治会のほか、北に程内、東に川登、南に村前、南東に池田の自治会が位置している。かつて、成留屋を取り囲むこれら4つの地区から小田町や内子町に向かうためには必ず成留屋を通る必要があり、大瀬地区(旧大瀬村)の生活必需品を調達する場として、また内子町と小田町の交通の中継地として成留屋は多くの人でにぎわった。また、成留屋の周りに広がる大瀬地区の中山間地では、戦後、養蚕に代わる現金収入の手段として葉タバコ栽培が広まり、全国的にも有数の葉タバコ産地であった旧内子町の中でも特に生産量の多い地域に成長した。葉タバコ栽培で得られた収入によって、戦後の成留屋の町並みはますます繁栄していった。しかし昭和60年代、国道379号の整備の一環で小田川を挟んだ成留屋の南側に内子東バイパスが整備されると、モータリゼーションの到来とあいまって成留屋への人の流れが急速に減少していった。
 成留屋は、平成6年(1994年)にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の故郷でもある。戦後を代表する作家である大江は大瀬で少年時代を過ごし、その実体験を基にした文学作品を数多く世に送り出した。成留屋で町おこしが始まった昭和60年代、大江はこの活動に協力して、成留屋に「大瀬・村の会」が結成される契機となった。その後、年に1度の講演会と音楽会が大瀬小学校で行われ、大江の招きに応じた建築家の原広司氏によって平成4年(1992年)に大瀬中学校が改築された。大江は令和5年(2023年)3月に亡くなったが、彼の作品に描かれた大瀬の風景は現在もその姿を残している。
本節では、戦後から平成を中心とした成留屋の町並みや大瀬地区の人々のくらしについて、Aさん(昭和5年生まれ)、Bさん(昭和7年生まれ)、Cさん(昭和25年生まれ)、Dさん(昭和25年生まれ)、Eさん(昭和30年生まれ)、Fさん(昭和43年生まれ)から話を聞いた。