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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇街道の復活に思う

高市
 今、先生から、熊野詣に人が引き付けられた理由は、一つは信仰ということと、あと一つは、娯楽的な要素があるというお話をいただきました。ずっと時代が下がってくると、熊野参詣でも、金毘羅詣でも物見遊山的な要素が加わってきたということですが、実際、金毘羅には琴平町に天保6年(1835年)にできました、日本最古の劇場建築といわれています「金丸(かなまる)座」というのがありました。そこでお芝居を見て、また地元に帰って、地域の方にそのお話をするというふうな娯楽的な要素もあったということです。
 最近この愛媛でも、坂本龍馬脱藩の道というのができました。これに参加しますと、通行手形であるとか、草鞋(わらじ)であるとか、竹の水筒などをいただいたりするのですが、街道が復活するということについては、小山先生は、どういうふうな現代的な意味があるとお考えでしょうか。

小山
 そうですね。一つは、司馬遼太郎の『街道を行く』といったような超ベストセラーもあったりしまして、旅行ブームが確かにあると思うのです。その旅行ブームも、お仕着せのパック旅行ではなくて、もう少し自前の旅行をするようになってきているのではないでしょうか。
 また、旅行の原点は何であるかということを考えていくと、やはり昔の道を歩くというようなことが、懐かしがられるのではないかと思うのです。どうしてかといいますと、現在は車社会ですから、お遍路さんとか、三十三所の観音巡礼をされる方も、ほとんどが車なのだそうでして、これは判子(はんこ)を集めて回るということに意味があるようですが、いろんなタイプの旅行が盛んになって、その一つとして古い歩き方も見直されてきているように私は思います。
 またもう一つには、古道が文化財として指定されたことです。これは文化庁としては、なかなかのアイデアだったと私は思うのです。それまでは、文化財というと、美術品だとか建築物だとか、あるいは地下から掘り出した考古学の遺物などといったものだったのですが、それに加えて、現に生きて利用している古道とか山城という日本全国どこにでもあるものを文化財として指定したことで、そういうものをちゃんと調査検証しなさい、整備しなさい、補助金も出しますよといった文化財サイドからの支援が得られるようになったということです。そして、それがさらに村おこし、町おこしにつながっていくという面もあります。例えば、この川内の川上の駅も宿場ですが、宿場と言えば、中山道の宿場で島崎藤村ゆかりの馬籠(まごめ)とか妻籠(つまご)とか奈良井の宿(長野県)などはもう今や一大観光地となっています。ここは昔の町並みの復元までやって、電柱なども取り払って、地下に埋めたり、よそへ持って行ったりしていまして、廃虚と化していたようなところを復元したということでは成功した所です。
 それから古道の保全についていいますと、熊野古道も、先程申しましたけれども、歩けない所には橋をかけていただくとか、あるいは崖で落ちてしまっているような所には石を積んで補強していただくとか、そんなことをやっていただいて歩けるようになりましたので、この金毘羅街道もぜひ整備して続けて歩けるように復興していただきたいと思います。
 もう一つは、古道というのは山の中の道が多いですから、どこへ迷い込むか分からないということで、やはりガイドマップをつくるということが大切だと思います。国土地理院の現在の地図を見ても、山道がちゃんと出ていないことが多く、かえって昔の地図のほうがよく出ていることがあります。昔の人はちゃんと歩いて測量したのですが、今は空中写真でやるものですから、木が繁っていると道が消えるのです。ですから、古い街道の地図は、実際に地元でつくっていただくことが、これからの町おこし、村おこしの重要な財産になると、私は思っております。

高市
 ありがとうございました。街道が復活するということは、今、先生がおっしゃったような文化が復活するということで、それが村おこしでありますとか、町おこしにつながっていくということでした。私も今年の夏ずっと川上神社付近を歩かせていただきましたけれども、本当にいい町並みだと思いますので、ぜひガイドマップをつくっていただきたいと思います。
 これで前半の、対談講演は終わらせていただきます。
 地域を学ぶということは、自分の町のいい所、つまり感動の素材を発見して、それに愛着を持ち、生きる糧にするということではないかと思います。本当は、本日御参会の皆様方、お一人お一人に講師としていろんなお話を伺いたいと思うのですが、時間の都合もございますので、後半のワークショップでは地元の4人の方に代表して御発表をいただくということにいたしたいと思います。