データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(1)貝の中に砂

 **さん(松山市福角町 大正12年生まれ 72歳)
 **さん(東予市河原津 大正10年生まれ 74歳)

 ア 母の日のプレゼント

 **さんが、当時のことを思い出しながら語ることを要約すると、農家はどこも子だくさんで、子供が楽しみにしていた潮干狩りも、山里からは年に1回、ひな祭りの翌日だけ許されたという。ひな荒らしの弁当は三段重ねの重箱で、お台場の松原は子供たちで大いににぎわった。潮はまだ冷たく、岩場のニナをよくとったらしい。15歳になると、農家では一人前の扱いで、この行事を卒業した。
 **さんは幼いころから潮干狩りが上手で、母親の実家からよく声がかかり、祖母に連れられてお台場通いをした。「三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今も潮干狩りはやめられぬ。」と笑う。
 「昔はシャゴ(キサゴ)が主(おも)で、両手で砂をかくと、シャゴの中に砂が混(ま)じる感じ。いつのころからかシャゴが減って、最近はアサリばかり。」という**さんは、海辺では名の通ったアサリとりの名人でお台場(写真4-1-2参照)をよく知っている。
 「何をプレゼントしようか?母の日に。」と、当時、80歳はとっくに過ぎたがすこぶる元気な生家のお母さんに、**さんが尋ねたのは5月の初めであった。やがて返ってきた言葉は、「**さんや、もう何もいらんぜ。お前は、あのシャゴ(キサゴ)のぬーくいのを食べさしてくれたら、ほかには何もいらんぜ。」であった。
 80歳になっても潮干狩りが好きだった母親であったが、息子さんが心配するのでそのころ海へは出向かなくなっていた。**さんは嫁いでからも、母親の誘いで何度もお台場へ潮干狩りに行っていた。大潮が近づくと、浜のことが気になって仕方がない娘のことをよく知っている母親だった。もちろん、母の日にはシャゴが届けられた。
 今年(平成7年)は、お台場のアサリが不漁のようで、**さんたちアサリ仲間3人は東予へ遠征を試みた。

 イ アサリを鳴らす

 **さんは河原津の浜とかかわりをもって27年になる。この浜を管理していた御主人を9年前に亡くしてからは、**さんが河原津漁業協同組合に所属する貝漁業の責任者として浜を任されている。古い漁場は永納山(えいのうざん)寄りの砂浜であったが、御主人さんの死後、700mほど南側にある北川の河口寄りにアサリが付くようになった(写真4-1-3参照)。「ここらはず一っと草が生えとったんです。アサリがこちらへ付いたので、わたしが草をのけたんです。」
 **さんは朝が早い。「朝、お魚をよりに行く時分(魚市場は5時)に、六地蔵さんのそうじを欠かしたことがないんじゃけど、今朝はできんと思ったので、昨日の夕方に済ましてね。今日は何人来るのか知らんが、大勢じゃと当たらん(行き渡らない)思うて、朝から潮をかして(海水に浸して砂を吐かせ)、食べれるようにしてここへ置いてあるんです。」
 六地蔵と先祖の墓を清掃することで始まる**さんの一日は、魚市場での魚の選別、浜の手入れと続く。予約客があると、4時、5時からの浜の仕事(除草と清掃)である。6人いる(入場券の)売り子さんが来た時には、掃除は終わって、いつお客さんを迎えてもよい状態になっている。息子さんが、早朝一人で浜へ向かう**さんを心配して、「ほかに売り子さんもおるんじゃけん。」と止めるようになったので、家族には告げずに来るのだと言う。
 ラジオでアサリを鳴らした思い出を、「**のばあちゃん」は、楽しそうに次のように語った。
 「**のばあちゃんですか?」、「はい。」、「今から声を採りますよ。」、「はい。」と待っていると、アナウンサーに「おばあちゃん、それ何ですか?」とたずねられ、「これアサリですよ。」と答えて評判になり、この放送を聞いた視聴者から「アサリを鳴らしてくれ。」とのリクエストがあって、ラジオに2回出た。その後、テレビ局からの取材もあって地元の知り合いの間ではうわさが広まり、『**姉(ねえ)!、テレビに出とったぞ!』と人気者になっていく。「もういや!、テレビもラジオも懲りた。」と笑うが、満更でもない顔である。電波に乗せて、渚(なぎさ)の風を届けている。

 (ア)ピカピカ光る砂

 「ここの浜の砂は、一般の人が取ってもかまんのですよ。」と、きれいな砂に見入っていたわたしに**さんから許可が出た。「そじゃけど、(砂を)取ったら、あそこのようにどちこみ(落ち込み)みたいになろ。『きれいにしとるのになあ。』と独り言を言いながら均(な)らしとくん。ほて、ここでもね、取ってかまんのじゃけん(取るなと)言われんのよ。」取った跡を均らしてくれれば、余計な作業をしなくて済むのにとの不満である。
 「ニワトリの下へ敷いたりね……」と砂の用途を教えて、「これより向こうへ行ったら、まだ(もっと)きれい。」と強調する。白地に黒と黄金色が混じる砂である。
 宮久三千年さんは、唐子浜(からこはま)から河原津にかけた海岸の砂を、次のように表現している。
 『世田山と笠松山は白く明るいかこう岩の岩はだに松林がよく調和した美しい景色をつくっています。かこう岩には2種類があり、閃雲(せんうん)かこう岩~かこう閃緑(せんりょく)岩(松山型)と、それより白っぽい黒雲母(こくうんも)かこう岩(笠松山型)がそれですが、後者の笠松山型が堅くて割れ目に富み、岩山や絶壁をつくっています。唐子浜から河原津にいたる美しい海岸の白砂も、この笠松山型のかこう岩の分解による石英と長石の砂で、黒雲母も変質して金色のピカピカ光る砂となっています(①)』。

 (イ)背中にくわを差して

 「川内(温泉郡)から独りぐらしの人が13人、団体でおいでてね。(券は)13枚売れてね。」とここまではよいが、「(アサリを)掘ってないんで、みんなに当たらんので、わたし一所懸命掘って、バスが出るときじゃった、バケツに半分くらい掘って渡したんです。ほしたら、ものすごいみんなが喜んで、連れておいでた人も『これでみんなの機嫌がとれた。』と喜んでね。」と、一潮(ひとしお)前の、団体を受け入れた話には、浜の責任者としての苦労話がにじみでる。**のおばあちゃんは深刻に悩んでいる。今年は、アサリが少ないのである。一昨年(平成5年)はアサリが豊漁で、お客さんもよい思いをした。「会社の偉いさんも指名してくれる。200人、300人とね。取り引きは全部、嫁さんが受けて、書き留めてくれるんです。でも、今年は断わるん。アサリが少ないけんね。『**のおばあさんおりますか?』と言うて来る。わたしは券を売ってね、背中にくわを差しといてね。(お客さんの中には)300円(分のアサリを)掘ってない人があろう。その人には入れたげる、わがのくわで。『おばあさんにもろた。』と言うけど、大勢の人じゃけん分からん。学校の児童までが名指しで来てくれるけど、(150円分は)えぇ掘らんじゃろ。」アサリが少ないとはいえ、**のばあさんには庭も同然の河原津の浜、背中に差した手ぐわで、サービスにこれ努めるのである(写真4-1-4参照)。
 74歳になった**さんは、浜風と太陽光線にさらされたくらしの中で、皮膚の色は茶色で健康そのもの、お世辞にも若いとは言えぬが、極めておおらかで底抜けに明るい。御主人に先立たれた寂しさや暗さを全く見せない。自らを「へらこいんで、早いんです(ぐずぐずするのが気に入らぬ性分)。」と言う**さんは、せっかちに一人で仕事をしてしまうところがあるが、まことに充実したくらしとみた。シーズン中は、早朝の役目を終えると、食事を済ませて、「よくできた女性」というお嫁さんに用意してもらった弁当をクーラーに入れ、清涼ドリンクを忘れずに浜へ出向く。息子さんに建ててもらった休憩所は畳敷きでソファが置いてあり、トイレがまたきれいだ。賢い若夫婦と孫娘に囲まれ、御先祖様に手を合わせて一日が始まるくらしは、本当に幸せである。
 「神・仏・六地蔵様を信心しとるお陰(かげ)よ。」とつぶやきながら、帰り際に、「ちょっぽり(少し)じゃけんどな。」とアサリのお土産をいただいた。まさに幸せのおすそ分けであった。

  【昭和30年代の河原津の干潟】
 愛媛の理科教育に大きい足跡を残した**さんは、河原津の干潟でとれる貝類を、小・中学生向けに、次のように解説している(②)。昭和39年(1964年)の記録である。

〇アサリ
 川水の流れこむ川下の浜は小石の多い所で、ほるとアサリがでてきます。色がちょっと石ころににていますが、三角形の白いもようがついていて、どの貝ももようがちがっているのでおもしろい。冬になると私どもの家でアサリじるにして食べる親しみのある貝ですが、貝の中から小さなカニがでてくることがあります。貝の中を住み家にしているのでしょう。

〇オオノガイ
 まだあまり人の歩いていない洲で、くわのあたまで土地をたたくと、オオノガイはおどろいて水管を引きこんで貝がらをとじるので、洲の上の穴に小さなくぼみができますから、オオノガイのいることがわかります。そこを20cmか30cmぐらいほると、足を下に向けて立っているオオノガイを見つけることができます。貝の中いっぱいにつまったみを切らないように気をつけてほり取りましょう。みちしおになったころ、海水をくんできてオオノガイの穴に入れると上のほうへでてきます。しおがみちたとかんちがいするためでしょうか。

〇マテガイ
 日本かみそりににているのでカミソリガイともいわれる二枚貝で味がよいのですが、マテガイの穴に食塩をひとつまみ入れると上へとびだしてきます。流れの早い深い海にもいるので、舟の上から穴を見て、ついて取る所もあります。

〇ムラサキガイ
 オオノガイやマテガイにまじってでてくるうすむらさき色の美しい貝で、肉がいっぱいつまっています。

〇バカガイ
 洲の上をくまででかくとバカガイやカガミガイがでます。バカガイはトリカイとよばれている所もありますが、トリカイはほかの貝の名です。バカガイは養しょくもします。ものすごくたくさんふえる年もあり、みをぬいた貝がらが、海岸に山のようにできます。みを取り出したら、足の先にはりがねを通してたくさんほします。かわいたものはヒメガイと名をつけて、大阪の方へたくさん売りだされます。7月から8月は卵をうむころで、中毒をおこすことがあるといわれていますから卵をのけて食べるのも方法だと思います。

〇タイラギ
 一番大きな貝がタイラギで、そうじをするホウキをさかさにした形をした黒紫色の貝です。細い下の方が砂の中の岩や石に貝糸(かいし)でくっついているので、ぬき取りには、まわりをほって貝糸を切っておかないと手を切ることがあります。長さ30cmもあるのがおり、とくに貝柱が大きくておいしい。この中には、小さなカニがいっしょに住みこんでいることがあります。

〇キサゴ・アカガイ
 砂の中にキサゴやアカガイがいます。

 そのほかに、川口近くのウミニナ、石がきやコンクリートのふきんでアラレタマキビ、アマガイなどがとれること、ヤドカリが自分の住み家がふるくなるとほかのまき貝をおそい、そのなかみを食べた上にその貝がらにうつり住むことなどが書かれている。

写真4-1-2 堀江海水浴場

写真4-1-2 堀江海水浴場

3月~10月の大潮には潮干狩りの舞台になる。平成7年8月撮影

写真4-1-3 河原津の遠浅

写真4-1-3 河原津の遠浅

**さんの休憩所から望む。左前方に大崎ヶ鼻が見える。平成7年7月撮影

写真4-1-4 河原津の浜

写真4-1-4 河原津の浜

平成7年6月撮影