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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅷ -新居浜市-(平成27年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 漁港の整備と海岸線の変化

 「漁港施設は新居浜市が管理しており、市では国の予算をもらいながら、市内にあった五つの漁港を順番に計画整備していきましたが、その中でも大島漁港の整備が始まったのは早かったです。
 港の外郭施設の整備事業が始まったのが、昭和33、34年(1958、59年)ころです。港というのは、まず防波堤といった外郭施設から整備し、徐々に陸地側の造成を進めていき、物揚場(獲〔と〕ってきたものを船から揚げる施設)や漁具置き場などを徐々に整備していきますが、単年度ではなかなかできないことなので、長期計画が立てられて実施されました。この事業は国の漁港修築事業と改修事業という名称で、補助金を受け取るための取り扱いを国が定めていたのですが、修築事業は10年くらい、改修事業は5年以上の計画だったと思います。昭和33、34年から平成に入るまでの長い年月をかけて現在の状態に整備されました(写真3-2-1、3-2-2参照)。
 まず、昭和28年(1953年)以前の大島村の時代に、陸地部と遠浅の自然海岸の部分を整備して海岸道路を建設することが村議会で議決され、道路が整備されて港の陸地部の原型ができ上がりました。当時、港には船を台風などの被害から守るために造られた船溜(ふなだ)まりという施設が2か所あり、これがそのまま残った状態で海岸道路の整備が進められました。その後、昭和50年代の終わりから60年代の初めころに、2か所の船溜まりが埋め立てられましたが、その背景には、大島村の時代に造られた海岸道路の前面に、荷捌(さば)き所(漁獲物の選別、計量や荷造り等の作業場所)や野積場(網を干したりする場所)などを備えた広い施設を造ってほしいという大島漁業協同組合からの要望があり、それで船溜まりを埋め立てて現在のような姿の漁港になりました。」