人力籾摺が動力利用に変り始めたのは、石油発動機の普及と同時期の大正一〇年ころであるが、動力籾摺機が開発されたのは大正七年である。 温泉郡余土村大字余戸(現松山市)の関谷正幸(明治二六年一一月一五日―昭和三八年四月二六日)は、大正元年に、滞米三〇有余年で帰国した父作次郎(昭和二〇年一〇月二七日没)の指導と協力をえて、我が国で最初の動力利用の移動式籾摺機の製作を開始し、順次改良を加えて大正七年に初めて実用機を完成した。