データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 社会経済1 農林水産(昭和61年1月31日発行)
一 節米運動
食糧対策委員会と節米運動
食糧問題が全国的に深刻な様相を呈するようになるのは、太平洋戦争に突入(昭和一六年一二月八日)してからであるが、戦前から年間一〇万石の県外米を移入していた米の消費県の本県では戦争勃発から三年目の昭和一四年には旱ばつに因る減収もあり、早くも食糧(米)の不足が問題になりその対策が各種の会合で論議されるようになった。同年一〇月に県は緊迫した食糧需給の調整を図り配給の円滑を期するため食糧対策委員会規程(昭和一四年一〇月二七日愛媛県告示第六八〇号)を定め、食糧対策委員会を設置した。
委員会は知事を会長、経済部長・警察部長を副会長として、県吏員、学識経験者で構成され、知事の諮問に応じて食糧の消費調整、配給に関する事項を調査、審議するとともに、決定事項の指導督励を行う機関であった。
国民精神総動員愛媛県本部(昭和一二年九月設立、委員七〇名)は、同年の一二月一日から一か月間を経済戦強調期間とし、その運動目標の一翼に戦時食糧充実のスローガンを掲げ、食糧の増産と白米食の廃止、七分搗米の常用を骨子とした米穀の消費節約実施要綱を策定し、節米の県民運動を開始した。
米穀消費節約実施要綱
一、実施事項
(一)食糧品の自給 (二)米を尊重する観念の徹底 (三)白米食の廃止 七分搗米(胚芽残存のものを含む)の常用 (四)
七分搗米と麦類その他の雑穀、豆類、薯類の混食又はその増加の奨励 (五)麺類、蕎麦食等の奨励 (六)業者の米販
売時における混食麦の附帯売却の勧奨 (七)官公署、会社、工場、学校、一般食堂、飲食店、等に於いて飯米の無駄
を防ぐため十分工夫すること (八)工場、学校等の共同炊事の奨励
二、実施方法
(一)県は専ら趣旨の普及宣伝、実施の指導督励に当る外、関係業者の協力勧奨に努むること
(二)市町村は綜合(経済更生)委員会に於いて本運動の実施につき最善の方法を協議し 部落(町内)会を通じ又十
人組(隣保班)を通じて強調実践を圖ること
(三)官公署、銀行、会社、工場、鉱山、各種団体に於ては市町村内の例に準じて其の実施を圖ること 特に学校に於
ては生徒、児童に対し本運動の趣旨を理解徹底し同時に家庭の実践に効果あらしめるよう配慮すること
節米運動の実況
この運動により、県下の小学校では麦飯弁当が強制され、米穀商には米に麦三割(昭和一五年六月より四割に増率)を混合して販売することが強要され、違反者には米の配給停止の強硬な措置がとられた。運動の実効を期するため、昭和一五年一月に「節米一割」をスローガンとして次の方策で、全県民の自粛を促す一大運動が展開された。
節米運動実施方策
一、家庭に於ける実施方策
(一)必ず七分搗米を食べること (二)食事は多すぎず少な過ぎぬ量を完全に咀しゃくすること (三)磨ぎ方を軽度
にして米の流出を防ぎ一粒の米も無駄にしないこと (四)麦その他の雑穀や豆、薯、根葉等 最低三割の混食をする
こと (五)三日に一度は小麦粉、蕎麦粉食、麺類、パン、団子、その他の代用食を行うこと (六)少なくとも一週に
三度は雑炊、粥を食べること
二、食堂、飲食店等に於ける実施方法
(一)常に七分搗米を用いる (二)主食 副食物を分売し 主食に大小の別を設け極力 飯米の無駄を排除すること
(三)小麦粉 そば粉食(パン、めんるい、団子など)その他の代用食を併売すること (四)献立品目は制限して現物見
本の陳列を廃すること (五)官公署、会社、学校、工場など集団生活の食堂では混食、代用食を行う (六)一般食堂、
飲食店、料理店、旅館、汽車、汽船の食堂では混食日、代用食日を設けて混食代用食を行う