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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業25-内子町-(令和5年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 人々のくらし

 (1) 戦争の記憶

 「戦時中、小学校(当時は国民学校)には天皇陛下の御真影が飾ってある奉安殿があり、登校した際に拝まされていました。終戦の日、よろずやにあったラジオで玉音放送を聞きましたが、恐らく内容は分かっていなかったと思います。それでも、なぜなのかは分かりませんが泣いてしまったことを、私(Aさん)は憶えています。」
 「私(Bさん)は、終戦時、4歳でしたが、鮮明に憶えていることがあります。お盆前に母と墓掃除に行ったのですが、山影から飛行機が飛んできたのです。母は慌てて土手を下にして、私に覆いかぶさってくれました。飛行機が飛び去った後に周囲を見渡すと、飛行機からまかれたと思われる、ビラがちらばっていました。中身は見ていませんが、恐らく終戦を知らせるものだったのではないかと思います。5歳より以前の出来事はほとんど忘れてしまっていますが、終戦直前に起きたこの出来事は忘れることができません。」

 (2) 子どものころの記憶

ア たくさんいた子ども

 「私(Bさん)が子どものころ、寺村は子どもであふれていました。『あちらの家で子どもが生まれたから、うちの家も子どもを生もう』というような感じで、通学時間帯は、商店街を何人も子どもが歩いていました。」

イ 戦後の食糧事情

 「私(Bさん)の子どものころ、社会の食糧事情はまだまだ良くありませんでしたが、私の家は恵まれていました。戦時中から配給制度が実施されていましたが、よろずやだった私の家が配給切符と配給品の交換窓口になっていました。そのため、私の家に予備の配給品が届くのですが、寺村は戸数が多かったため、配給品が少し余っていたようです。その余った配給品を、物々交換で農家の人たちと米などの農作物と交換していたために、食べる物には困らなかったのです。農家の人たちも生活必需品が手に入るので、喜んで交換してくれたそうです。
 小学校で弁当を食べる際、私は普通に食べていましたが、みんなは弁当の中身を隠しながら食べていました。不思議に思ってみんなの弁当を見てみたところ、イモだけだったり、トウキビ飯だけだったりしたのです。私の弁当は白御飯と卵焼きだったので、みんなは恥ずかしかったのだと思います。また、運動会のとき、母が巻き寿(ず)司(し)を作ってくれたことがありました。私は巻き寿司があまり好きではなかったので、ぜいたくな話ですが、友達に『おにぎりと交換してほしい。』とお願いしたところ、友達は喜んで交換してくれたことを憶えています。
 このように、私の家は決して裕福ではありませんでしたが、食べる物に関してはかなり恵まれていました。当時は意識したことはありませんでしたが、家族に大事にされていて幸せだったと、つくづく思います。」

ウ 新制中学校

 「戦後、新制中学校が始まりましが、私(Aさん)は1年間だけ新しい校舎の中学校に通いました。小田小学校と同じ敷地に新たに小田中学校の校舎が建設されましたが、屋根瓦を上げる作業を私たち中学生も手伝ったことを憶えています。」

 (3) 三八豪雪

 「寺村は小田町の中で温暖な地域ですが、三八豪雪の際、この辺りでもかなり雪が積もりました。私(Bさん)の店では、スコップや長靴といった除雪のために必要な道具が飛ぶように売れましたが、道路が大雪で寸断されていたため、まだまだ需要があったものの追加の商品を入荷できなかったことを憶えています。
三八豪雪の際、小田深山が雪に閉ざされて孤立したため、地元の消防団が救援物資を持って小田深山へ徒歩で上がっていきました。道路から電線に手が届きそうなほど雪が積もっていたそうです。当時、私は家業を継ぐために大阪からこちらに帰って間もないころで、消防団に入ろうと思っていました。ところが、加入希望者が多く、順番待ちで入ることができませんでした。それぐらい、この辺りも多くの人がいたのです。
 昭和42年(1967年)も大雪となりましたが、それ以降は大雪が降った記憶はありません。それでも、20㎝、30㎝くらい積もることは珍しくなかったのですが、近年は温暖化の影響か降雪量が少なくなり、積もったとしても5㎝から10㎝くらいになっています。」

 (4) 河辺村とのつながり

 「寺村の商店街に河辺村から買い物に来る人が多かったように、寺村は河辺村とのつながりがあり、河辺村から小田高校に多くの生徒が通っていました。そこで平成5年(1993年)に小田高校寄宿舎を新築することにしましたが、私(Bさん)は、建て替えた寮の設立に携わりました。私は高校生のとき、松山市内で寮生活をしていたのですが、4人部屋で一人当たりのスペースが畳1枚ほどしかなく、苦労した記憶があります。そのときの経験から学生寮をワンルームタイプにしたところ、大変好評でした。」

 (5) 祭りの記憶

ア 秋祭り

 「寺村の氏神である新田神社では、10月20日に秋祭りが行われます(写真1-2-2参照)。子どものころ、神社の横にある寺でお十七夜という市があったことを、私(Bさん)は憶えています。」

イ 火祭り

 「寺村では夏に『山の神の火祭り』という伝統行事があります。もともとは旧暦の7月20日に実施していたのですが、より多くの人に来てもらうために、神事は従来どおり実施し、夜市や打上げ花火といったイベント的行事は、お盆の帰省客が多い8月15日に実施するようになりました。
夜市は商店街が主となって開催しましたが、私(Bさん)は夜市の実行委員会の初代会長を務めました。また、打上げ花火は臨場感があって迫力満点で、大変人気がありました。火祭りを楽しみに帰省する人も大勢いました。長く続いた火祭りのイベント的行事でしたが、コロナ禍で令和2年度(2020年度)から中断を余儀なくされ、昨年(令和4年〔2022年〕)、夜市の実行委員会は解散したそうです。」


参考文献
・ 小田町『小田町誌』1985
・ 角川書店『角川日本地名大辞典38愛媛県』1991
・ 旺文社『愛媛県風土記』1991
・ 愛媛県生涯学習センター『県境山間部の生活文化』1994


写真1-2-2 新田神社

写真1-2-2 新田神社

内子町             令和5年9月撮影